表紙17

其の四十三 果たさないで終わる

《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(平成20年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

こんにちはっ。ほんじつもこーえんを聞くです。

前回noteでは、「奥さんと母親の中間に立ってふたりを和解させようとした鴎外は、奥さんに対して『おまえとの関わりは数年間のあいだの関わりにしか過ぎない。しかし、自分と母親の関わりは赤ん坊のときからの関わりだ。だから、しかたがないじゃないか!』と、こういうふうな仲裁のしかたをするわけです。」と吉本さんおっしゃるばめんでした。

では、つづきを。。。

すると。まあ、もちろんそれで和解ができるはずがないので。えーと、なんて言いますか。あの。あの。えー。鴎外は中間に立って。中間に立って、もうどうしようもなくなって。(チャプター08 / 森鴎外と「半日」_5:58〜)

それで、和解できるはずもなく。鴎外はどーしようもなくなり。。

その日は、鴎外は、なにかって要するに「孝明天皇祭」って言いまして。明治天皇の前の天皇なんですけど。その、その忌日って言いますか。の日で。宮中へ参列しないといけない、っていうそういうときだったので。

鴎外にとってその日は「孝明天皇祭」という、明治天皇のまえの天皇の忌日(←命日ってことかな?)で、その催しへ行かなきゃいけないという日だったから、

中尉の医師である鴎外にとっては、大変つらい日だったと思いますけど。その半日、その仲裁役で、両者の仲裁役で費やしてしまって。

鴎外にとってもかなりつらい日だったけれど。奥さんと母親の仲裁役として時間を費やしてしまい。

宮中参内(きゅうちゅうさんだい)っていうその日の役目を、鴎外は、果たさないで終わっちゃう。っていうそういう作品です。

宮中参内という役目を、鴎外は果たさずに、その半日が終わる。

という作品。。。

で、この。何がここで問題になりうるのか? って言うと。

ここで何が問題になるか?! と言えば、

作品まで含めて直線的に。その作者である鴎外と、それから母親と、それから夫人と、三人の健全な人たちの関係が、

小説に登場する三人の関係が、

ある、ある瞬間には、もはや和解も利かないし。そのために、鴎外は重要だと思ってる宮中参内もやめにしてしまう。っていう。

ある瞬間にはもうぜんぜんダメになってしまって。それのために、鴎外は重要な用事もとりやめにしてしまう。。。

‥‥ってゆうこのつづきは次回noteで聞きますー。なんだか最近、おれはなんでネット上でこんなことをやってるのか?! ってちょっと疑問を感じてもきた。んでも、この講演が終わるまではこーいうようなペースでやってゆくですっ。

平成28年9月26日



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