無題。(令和4年3月17日の独り言)
パンデミック、戦争、そして、
昨夜の地震、はたまた、
ぼく自身についてのことだっても、
悩みごとがあったりして、
心配とか、不安とか、考えごとによって、
押しつぶされちゃいそうな感覚がある。
たとえば、
外からの圧力によって、
風船がしぼんじゃう。みたいな。
もっと言えば、
表面に棘が刺さって、
風船がパンと割れてしまいそうだ。
こんなときにはさ、
その風船の中に空気を入れて、
ふくらませることによって、
しぼんじゃいそうだった状態から、また、
「張り」を取り戻したい。
でも、そんな
「張り」を取り戻せたとて、
つよい力や棘には、とうてい、
抗えないやもしれないけれど。
それでも、
じぶんという風船をふくらませたい。
ってゆうふうに考えてみれば、この
「じぶんという風船の中に空気を入れて」
というのがさ、つまり、
「休む」ってことなのやもしれないな。
人間は、
やわらかくて、もろい、ともしても、
人間が持つ皮膚は、
水をはじいたり、体を守ったり、というような、
成分的には、とても強い、
というのも聞いたことあって。
ともすれば、たとえば、
人間の心にもね、
皮膚のような膜があって、
ぼくの心だっても、その膜によって、
守られているんだろうか?
その膜に包まれた心に、
空気を入れて、そしてまた、
ふわふわと舞い上がれるように。
令和4年3月17日
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