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選挙に投票するときにぼくが考えること。

選挙に投票する、というときに、
じぶんの一票によって政治が変わったら、
みたいな気持ちって、ぼくは、
あんまり持っていない。

たとえば、開票結果によっては、
ほんの数票差によって当選が決まる、
というような場合には、じぶんの一票によって
政治が決まることもあるとも思われるけれども。
そういうときはおそらく非常に稀だし、
ならば、ある意味では、
ぼくが一票を投じたとしても、ぼくの一票とは
国民の投票のうちの一票であって、
このぼくの一票のみで政治が変わる、
とは、まったく考えがたい。

でも、ともすれば、
ぼくが選挙に投票するとしても、
政治は変わらないんだから、
投票する意味がない、
とは、ぼくは考えていない。

選挙に投票するとき、って、たとえば
「だれに投票するか?」というのを、
じぶんなりに考えて投票すると思うけど。
この「考える」というのが、
けっこう、だいじ、というか。
つまりはさ、選挙に投票するために
「考える」ことによって、
じぶんがどういう考えを持っているか、とか、
じぶんはどういう考え方に近いのか、とか、
じぶんはどういう考えが嫌なのか、とか、
ってゆうのをね、じぶん自身で
見えてくるようになる、というか、
わかるようになる、というか。

選挙に投票する、って、たぶん、
けっこう重たい行為で。
なにげなく投票したとしても、
これまでの各選挙でどの候補者や党に投票したのか、
みたいなことは忘れてしまったとしても、
じぶんの大元の記憶のところでは、
案外、残されていて。

つまり、
じぶん自身の「考え」とは、
選挙のときに「考えたこと」が、
蓄積されることで、形成してゆく。
ってゆうのをぼくは考えているのよね。

じぶん自身の一票によって、
政治が決まる、という考え方も、
とてもたいせつなことだと思うけれども。
それにプラス、この
「じぶんの考えがわかる」という動機を込めながら、
ぼくは、選挙に投票したいんだなあー。

「投票」する、って、
「票を投ずる」と書くけど、
ならば、ナイスピッチングで投じたい。
ボークに気をつけながら、
一塁ランナーのリードも気にしながら、
球種は、シンカーで、問うてゆきたい。

令和4年6月30日


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