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地球のリズム。

そもそも、地球には、
朝も、昼も、夜も、
昨日も、今日も、明日も、
時間も、日付も、曜日も、
年数も、世紀も、何も無かった。

地球は、ただ、
太陽の周りを動きながら、
明るくなったり、暗くなったり、が、
繰り返されながら、
やがて、生物が誕生して、
そして、生物は進化して、
人間が存在するようになってから、
時間や日付や曜日や年数が発明された。

時間の発明、ってゆうのもさ、
たとえば、地球が、
明るくなったり、暗くなったり、もしくは、
温かくなったり、寒くなったり、というような、
そのリズムが一定だったからこそ、
生まれたものやもしれないな。

一日の長さのことで言えば、
昨日は何時間で、はたまた、
今日は何時間で、さらには、
明日が何時間なのか予測もつかない、
ってゆうような感じだったら、
時間という概念も生まれなかった。
もしくはさ、
昨日は夏のように暑くって、
今日は冬のように寒くって、
明日はどうなるのか全くわからない、
ってゆうような感じだったら、
年数という概念も生まれなかっただろうか。

そう考えてみれば、
「季節」というリズムって、
奇跡的のようにも感じられる。

かと言って、
時間や年数という概念が全く無かったころに
ぼくが生まれたとして、ぼくがひとりで、
それらを編み出すことができるはずもなくて。
ともすれば、
時間や年数や暦やカレンダーとは、
これまでの人類の知恵の積み重ねなんだなあ、
って、あらためて思ったりもする。

明日も、明後日も、明々後日も、
来週も、来月も、来年も、来世紀も、
そのまた来世紀も、さらにそのまた来世紀も、
この地球のリズムが、ずっと、
平和に、平穏に、保たれますように。
と祈りたい。

明日も朝が来て、そして、
明日、春が来たら、
君に逢いに行きたい〜。

令和4年3月26日


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