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ミス・ア・シング

東京オリンピック・パラリンピックにおける
「開催」の是か非かについて、ぼくは、
なにかの見識を持っているわけではないですが。
中止するにしても、開催するにしても、どちらにしろ、
なにかしらの問題があるんだろうと想像する。

たとえば、中止するとしたら、
国の経済が破綻して、
国家が崩壊するケースもあるやもしれないし。
また、開催されるとしたら、
このパンデミック禍において、
世界中から、関係者があつまれば、
さらなる感染を引き起こしながら、
国内の医療崩壊、ひいては、
さらなるパンデミックにつながりながら、
その最悪のケースとしては、
人類が滅亡することもあるやもしれない。
いや、予定される感染防止対策がうまく行ったおかげで、
ぜんぜん、なんにも起こらなかった、
という場合もあるかもしらない。

そんなふうに考えてみるとね、
国家が破綻するか?
人類が滅亡するか?(もしくは、何も起こらないか?)
というような、その、
どちらの地獄のほうが、まだ、マシと言えるのか。
という、選択なのかもしれないな。
って思えてきてしまう。

「アルマゲドンが起きない限り、開催される。」
という、発言もあったとぞんじますが。
それを聞いたときには、なんだか、
こわいなあと感じました。なんてゆうか、
前フリというか、フラグというか、引き金というか。

この「アルマゲドン」というのが、
本当のところは何を意味されるか、
ぼくはよく知らないんですが。たとえば、
そんな究極な出来事では無かったにしても、
開催地および開催国にて、
甚大な自然災害等の事態が起きてしまえば、
開催は困難になって。でも、その発言で言うならば、
「甚大な自然災害が起きても、それは、
『アルマゲドン』では無いから開催される。」
というふうにも取れるから。
こんなとき、映画やドラマならば、
そのことばが引き金となりながら、
災厄が引き起こされる場合だってもありえそうで。

そんな、呪いのようなことばをね、
なぜ、言うんだろうか。
とは感じるのよね。

でも、なんだか、
これらの「開催」のことを考え出すと、
是なのか非なのかのどちらにしても、
崩壊やら、滅亡やら、地獄やら、
災害やら、災厄やら、呪いやら、
みたいなよくないことが思い浮かんでしまって。
けっこう、気持ち的につらくなる。

意見と意見が怒号のように飛び交う、
みたいなこともあるのかもしれないけれども。
どちらの意見のほうが、
かくじつにただしい。
なんてゆうのも無いかもしれないなあ。

I'd still miss you, babe
And I don't wanna miss a thing

令和3年6月17日