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未知との邂逅。

このぼくにだっても、
知っていることもあれば、
知らないこともある。

じぶんの知っていることを
「すでに知っていること」、つまり、
「既知」なのだとして、その逆に、
じぶんの知らないことのほうは
「いまだ知らないこと」、つまり、
「未知」なのだとすれば、
とっても単純に言うとすれば、
この世界とは、
「既知」と「未知」に分かれる。

この「既知」と「未知」について考えるときにね、
ぼくの場合はさ、ぼくは、けっこう
保守的、と申しますか、
変化を嫌う、と申しますか。
たとえば、じぶんの知らない
音楽や漫画や映画や小説などなどを、
積極的に鑑賞したい! というふうには、
それほど思わない、と申しますか。
はたまた、食事のお店でもね、
知らないお店へ行くよりかは、
よく行くお店へ行くほうが、
多い、とゆうか、そのほうがさ、
安心する感がある、とゆうか。

そんなふうにして、
ぼくは、どちらかと言えば、
これまで好きだったものを、
依然、好む傾向がある、
と言えるやもしれないな。

でも、やっぱり、
それだけではだめだなあ、って思いながら、
じぶんの知らない作品だったり、
じぶんの知らないお店だったり、
じぶんの知らないことだったり、
というのも知ろうとしたいんですが。
なかなか、やっぱり、どうしても、
うまくゆかなかったりもする。

それはたぶん、ぼく自身の
「未知」なものに対するセンサーが、
にぶっている、
とも言えるのかねえ〜。

「未知」なものに出合うときって、
SFの映画でもそうだと存じますが、たとえば、
宇宙人との邂逅って、
やっぱり、こわいし、おののく。
仮にね、その宇宙人がさ、
人類の敵だったらばなおさらのこと、
もしくは、のちのち、
じぶんたちの仲間のようになるとしても、
初めて出合うときには、おののいちゃう。
このことってば、つまり、
その目の前の存在が、
わからないからこわい、つまり、
「未知」だからこわい、のだと思うのね。

ぼくとかは、とくに、そういうような
映画などにおける邂逅や遭遇の場面って、
目を背けてしまうぐらいに
こわがってしまうもんだから、
「未知」に対して、よほど
おそれをいだいているのだと思われる。

そして、ならば、
じぶん自身の「未知」なものと
まったく出合えないか?! と言えば、たとえば、
だれかから紹介をされたり、
おすすめしてもらったりすれば、
受け入れられる、ということは多い。
そういうふうにして好きになったものって、
たくさん、ある、と申しますか。
考えてみれば、そもそも、
ほとんどぜんぶがそうなのかもしれないか。

だから、ぼくは、ぼくの性格上、
「開拓者」には成れない、
とは思うんですが。でも、
そういう人たちによって、
じぶんが享受できているもの、つまり、
じぶんが知ることができたものが、
たくさん、ある、とは想っているの。

じぶんなりにでもよいから、
どうにかして、どうか、
「未知」なものと出合えるようであれたいな。

そして、でも、その反対として、
「既知」なものの中にもね、
ほんとうにはまだ
「未知」なこともあるんだから、
そう考えれば、世界とは
「未知」だらけだ! とも思う。

そんな世界に対して、このぼくは、
おののくほかないんだ。

令和4年12月29日


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