表紙14

其の十四 おれは生きていられるな。

《2008年7月19日・昭和女子大学人見記念講堂にて開催されました吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聴いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

こんちゃーっす。ほんじつも、こうえんを聞いてゆくです。

前回noteでは、素人のひとにも専門家のひとにも、これほどいろいろなことを考えさせられる考えかたをこれだけやさしい言葉によって説明することができるアダム・スミスは、経済学者として相当にすぐれた人だ。と吉本さんがおっしゃったばめんでした。

ここからのつづきっすー。

僕は、つまり、世界を把握するために。とか言う名目で、素人のくせにスミスから、えー、リカード、マルサスって来て。まあ、マルクスの資本論まで来て。それで、(チャプター04 / 古典経済学から芸術言語論へ_12:26〜)

ぼくは、この「リカード」という人も「マルサス」という人もお名前すら存じあげませんです。「マルクス」『資本論』というのは、ほんの名称だけ。。。 

それにまつわる経済的諸人間の、つまり経済的専門家のいろんな学説とか論争とかって言うのも、ついでに、それにまとめて読んで。

リカード、マルサス、マルクス、そして、それにまつわる経済学者の学説・論争をまとめて読んで…。

って、いったい、どれだけの分量なのだろう??

だいたい、わかったぞ。って。つまり、世界を把握するって言うことの方法がわかったぞ。というのが、僕のその古典経済学から、を、参考として得た認識なんです。

それらをまとめて読んで「世界を把握する方法」が、だいたいわかったぞ。って、やっぱり、もうなんだかすごい。

そう、そうすると、僕は何を考えたか? と言うと、

そこから、吉本さんが考えたことは、、

もともと文学青年だったですから、自分の持っている文学的素養っていうのと。もし、この世界を把握するっていう、その、経済学。経済学を主とするそれの周辺の学とか認識とか、っていうものとを、

それは、この『芸術言語論』を聞くシリーズ「其の五」の回でもうかがいました「かねてから持っている文学的素養」と「世界を把握するための学や認識」とを、

もし、直結。あるいは、連結することができれば、おれは生きていられるな。生きていけるな、って言うふうに考えたわけです。

もしも、直結、連結することができれば……。

の、このつづきはねぇ、またまた次回noteで聞きますっ。このペースでゆくとさ、あと何回ぐらいかかるんだろう聞き終わるまで。なんとかペースを保ちながら聞いてゆくです。。。

平成28年8月28日



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