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あらゆる表現の歴史を経ての、今。

前回noteでは、
ニュースの番組では、
ニュースの現場の映像が映し出される。
ニュースの映像によって、
ぱっと見で、わかる、みたいなこともあれば、
その映像があまりにも強すぎて、
こわい、って感じられる場合もある。
というようなことから、
「映像」について考えることを書いたのですが。

そういうようなことはさ、でも、
「映像」だけでなくって、
「写真」にもあるなあ、と思われる。

「映像」と「写真」のことで考えてみると、
時代的には、
「映像」より前の時代に
「写真」が発明されたと思うのですが。
それは、たとえば、
坂本龍馬の写真は見たことあるけれど、
坂本龍馬の映像は見たことない、というか。
坂本龍馬が生きていた時代には、おそらく、
写真はあったけれど、
映像はまだなかったんじゃあないかなあ。

1982年生まれのぼくは、生まれたときから
写真はもちろんのこと、映像だっても、
テレビもあたりまえにあったので、
写真も、映像も、あたりまえのものとして
生活の中にあるんだけれども。
ならば、たとえば、
はじめて映像を見たひと、もしくは、
はじめて写真を見たひと、って、
どういうふうに思われたんだろう?!

「じぶんの姿が写真に撮られると、
魂を抜かれてしまう」と言われていた、
というのも聞いたことあるけれども。
「映像」が登場したとき以上に、
「写真」のインパクトって、
すごかったやもしれないな。

そして、さらには、
映像も写真もなかった時代には、
映像も写真もないんだから、
ニュースの報道においても、
「絵」や「ことば」によってなされていたのだろう。
ともすれば、
「映像」や「写真」が登場したときもそうなのですが、
それら以上に
「絵」や「ことば」が登場したときも、
そのインパクトはすごかったのやもしれない。

「絵」のことで言うと、
絵画の歴史的に、とは言っても、ぼくは
絵画の歴史の知識も詳しくないけど、でも、
どんどん、だんだん、
絵画の技法が開発されながら、
今の時代へと至るのだと思われるし。
「ことば」だっても、
時代ごとに変化してゆきながら、
今の時代の言語があるのだと思う。

人類の歴史において、
「絵」が先なのか、「ことば」が先なのか、
ってゆうのもよく知らないんですが。
人類は、そういうような、
「絵」や「ことば」や「写真」や「映像」によって、
伝えたり、伝えられたり、もしくは、
伝えるかどうかとかは思われずに、
表現をなされてきたのでしょう。

そうして、このぼくだっても、
テレビも見るし、新聞も見るし、
YouTubeも見るし、映画も観るし、
マンガも読むし、本も読むし、ネットも読むし、
写真も眺めるし、美術も鑑賞するし、
今はこうしてブログも書いている。

それは、つまり、これまでの
あらゆる表現の歴史を経ての、今、
だとも考えられるし。
このブログだってもね、
ラスコーの洞窟の「手形」の壁画のごとく、
インターネットという壁に記される
「手」の跡なのやもしらないな。

令和4年11月18日


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