表紙19

其の九十八 ひとりひとり

《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(平成20年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

こんにちは〜。こ〜えん、きくさ〜。

前回noteでは〜、「僕は何十年かかってこの周辺のことを書いたりしてきましたけど。なんでお前そんなことを、そんなバカらしいことに…。生涯をもうすぐ費やすかもしれないですけど。どうしてそういうことになっちゃったんだ? って言ったら、まあ、おれ、バカだからなぁ。とか言ってもあまり通らないし。しょうがないですね、なんとも言いようがないわけです。どう言ったらいいかわかんないですけど、『そういうことになっちゃったよ。』というふうに言う以外に方法はないわけで。でも、僕がそう言うことで、お前、何やって生きたんだ?! わぁー!!! って終わればいいかなぁ。」と吉本さんおっしゃるばめんでした〜。

つづきです〜。。。

(時計を見ながら)2時間43分。あ、時間。も、もうちょっと‥‥。(観客笑) それで、あの。それでいいかなぁ、って言うふうに思う、思うわけです。(チャプター13 / 時間をかけるほど芸術的表現は価値を増大するか_9:42〜)

「それでいいかなぁ、と思うわけです。」

それで、えー。それで、それでいいじゃないかな。いいじゃないか、って言いたいところだけど。いいじゃないか、って言っちゃうと、

「でも、『それでいいじゃないか!』って言ってしまうと、」

なんかお前、お前、わざとそう言って、そういうの「卑下マン」って言うんだ。っていうふうに言われちゃいそうな気もしますし。

「おまえ、わざとそう言ってそれは『卑下マン』だ。って言われてしまいそうな気もするし。」

あの、えー。このために何ができたんだ? って言われたら、つまり、僕はひとつだけ言えることは。それが目的だったから、それを言いますけど。

「『このために何ができたんだ?!』と問われれば、僕がひとつだけ言えることは、」

あの。要するに、えー、なんと言うか。一般的に、芸術っていうのは、芸術に一般的に通用するような理論ない、理論なんてないんだ、って。個人個人の、個人個人の芸術家自体の問題であって。

「芸術というものには、一般的に通用する理論なんてないんだ。それは、個人個人の芸術家自体の問題なのであって。」

そんなことは、一般的に誰にも言えないで。ひとりひとり、みな、評価が違う。それも当たり前だ。

「そのことは、一般的には言うことができなくて。また、芸術の評価はひとりひとりみんな違う。それもあたりまえだ。」

個人個人。ひとりひとり。ということばがさ、なんだか身にしみいるような…。ではでは〜、このつづきは次回noteで聞きます〜!!! にちようび、晴れた〜。

平成28年11月20日



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