石田ゆり子さん

「沈黙」とは?!

吉本隆明さんが講演でおっしゃってた「沈黙」とは、どーいうことか?! ってのは、やっぱりちょっと考えておりまして。それは、2008年に講演『芸術言語論』をライブで観たときから、2016年改めてこのnoteで聞き直してみた現在でも考えているんだけれど、答えはわからない。

でも、なんか、ひとつ思ったのはねぇ。この「沈黙」というのは、行動として「黙る」ことじゃあないと思ったの。

口をつぐんで、言わない、ていうことも「沈黙」のうちのひとつだとは思うけど。たぶん、吉本さんおっしゃる「沈黙」とは、そういうことだけじゃあない。

でも、じゃあどーなんだ?! と考えてみても、それはよくわからないのですが。。。

昨日の「ほぼ日」でね、糸井重里さんの新著『抱きしめられたい。』(12月16日発売)の予告として『抱きしめられたい。』のなかのあることばを石田ゆり子さんが朗読される、という動画が更新されまして。

拝見いたしまして、すんごい、すてきだったー。

糸井さんのことばも、もちろんすてきなのですが。石田ゆり子さんが語られる声、と申しますか。表情、と申しますか。いや、それだけではなくって。お姿、と申しますか。うぅーんと、言葉ではうまく言えないんだけれど。観ていて、聞いていて、(うえーん…)と感じた。。

えーと、ね。

ここで語られる石田ゆり子さんのお姿が、なんだか吉本隆明さんおっしゃる「沈黙」と、どこかつながっているような気がしたの。石田ゆり子さんはお話しをされているのだから「黙」ってはいない、のだけれど。なんだろう、あえて言葉にしてしまうならば、にじみ出されているもの、と申しますような‥‥。

そういうお声であったり、表情であったり、お姿であったり。もっと、ほかのなにか…。たぶん、糸井さんのことばもそういう「『沈黙』のようなことば」であるかもしれないけれども。

その、吉本隆明さんおっしゃる「沈黙」とは、いったいどーいうことなのだろう??? って、ぼく自身はよくわかっていないので、そのことはやっぱりこれからも、折に触れて考えてゆきたい〜。

平成28年12月13日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?