トンネルを抜けると

入る力、出る力。

8月14日のnoteでね、ぼくは、これまでやっておりました吉本隆明さんの講演を聞くシリーズのことを「トンネル」と喩えまして。それはさ、どういうことかと申しあげますと。えーと、なんて言うんだろう。その中へ入り込み、くぐり抜けるようにして前へと進んでゆく。みたいな感じなのかな。

なので、まぁいちおうこの半年間、吉本隆明さんの(ふたつの)講演を聞く、っていうのを逸れずにやってきて。今はさ、その「トンネル」から出てきて、かがやく外の光に目がくらんでいる状態、みたいな?!

どーしたらよいのか、ぼーっとしている、的な。。。

「インプット」と「アウトプット」について書きます。ぼくは、よく言われているような「アウトプット(作品制作)をするために、インプット(見たり読んだり聞いたり調べたり)をする。」という考えに、ちょっと違和感をおもっていて。インプットして、アウトプットする。って、どこか機械的というか。おれは、ロボットか?! のようにも感じるの。

つまり、「インプット」が「入力」なのだとすれば、それは「入れる力」で。「アウトプット」が「出力」ならば、「出す力」である、と。

さきほど、ぼくは「吉本隆明さんの講演(というトンネル)の中へ入り込みくぐり抜けるようにして前へと進む。」と申しあげましたが。このばあいの「インプット」と「アウトプット」について申しますと、「インプット」は「入る力」で、「アウトプット」が「出る力」って考えたんだよね。

ぼくは吉本隆明さんの講演を、まあ、聞いていたけれど。その内容を、じつはかなり覚えることはできていない。じぶんなりのことばで内容の説明とかなんて、もうぜんぜんできない。それは、そもそも、その内容を覚えようとか体に入れようとかはしていなくって。ただ単に、もぐりこませようとしていただけというか。

トンネルの中へ入り、進み、出る。もうすこし言えば、思考・思想の森の中を、吉本隆明さんの案内のもと、探検する。ってゆうかさ。そして、そーいう経験をそこでする。みたいな。

この講演というものがあまりにも大きすぎて、ぼくの体の中にはとうてい入りきらない。なので、その小さいぼくが、大きい内部へと入ってゆく。ていうイメージ。。。

んでもさ、まだ、ぼくの「出る力」が弱くって、そこから完全に抜け出ることはできていないのかもしんねぇ。言い換えれば、つぎのステージにどうやって「入る」のか?! そんな「出る力」と「入る力」を養いたい。

平成28年12月14日