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未来は変えられるか?!

過去を変えることはできなくって、
変えられるのは未来だけなのだから、
これからがんばろう!
みたいなことってさ、もちろん、ぼくも
そうだなあって思うのですが。
それでも、なかなか、
未来を変えようとするのは、
困難のようにも思われる。

たとえば、
「未来」とは言っても、
現時点で、もうすでに
決まっている未来もあるから。

つまりはさ、このことはたしか
ドラッカーが言っていたとぞんじますが、
来年、高校生になる人数というのは、
今年、中学三年生の人たちが生まれた年度に
生まれた子どもの数以上にはならない。
その年に生まれた人全員が、
高校に進学するわけではないから、
そのパーセントはあると思うけど、でも、
その人数とは、現在の時点において、
すでに決まっている未来だと言える。

このことで言えば、たとえば、
昨日、明日の予定が決まったとすれば、
今日の時点では、明日の予定とは、
もうすでに決まっている未来だ。

そういうことって、じつは
けっこういろいろあると思っていて。
たとえば、なんだろうか、子どものころから
野球を一度もやったことがない人は、
大人になってから、いきなり
プロ野球選手に成ることはできない、とか。
つまり、過去があり、現在を経て、
未来がやってくる。
そういうような時間軸において、
現在、何ができるんだろうか?!

過去のじぶんの悪しき慣習は変えながら、
過去のじぶんのよきところは変えず、
未来を変えようとする、というのは、
言うほど簡単ではない気もする。

はたまた、過去って、
案外、定かじゃあないから。

たとえば、
忘れてしまう過去もあるし、
その出来事を見る人によっては
まったくちがう解釈となる過去もあるだろうし、
じぶんの生まれるずっとずっと大昔のことは
文献や記録や数値や標本から、
考えたり、想像したり、イメージしたり、
するような過去もあるんだろう。

ある歴史を、本人の
都合のよいふうに解釈してしまうような
「歴史修正主義」はいけない、
とは思うけれども。でも、かと言って、
過去は定かじゃあない、と考えるとすれば、
過去を扱うことはとってもむつかしいし、
ぼく自身だっても、
ぼく自身の過去ですら、
記憶を捏造している過去もあるやもしれない。

つまりはさ、
「過去を変えることはできない」
とは言いながらも、知らぬまに
じぶんが変えてしまっている過去だって、
ぜったいにない! とは、
ぼくは言い切れないな。

そんな過去があって、
未来に向けて、この現在、
何をすることができるんだろう。

たとえば、未来とは、
過去と現在の集積なのだと考えるとすれば、
そんなような過去と現在を出し抜きながら
未来を変えてゆくためには、もしかしたら、
日記を書くことって、
けっこうよいやもしんないなあ、
って思っているの。

このブログだっても、じつは、
そのうちのひとつであると思えたい〜。

令和4年6月28日


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