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人の頭の外にある「きまり」。

以前勤めていた会社を辞めたあとでね、
その辞めた理由はさ、ちょっと
精神的にまいってしまったからなのですが。
どうして辞めるに至ったか? みたいなことを、
振り返ってみて。それで、ぼくが考えたのは、
その会社には、
就業規則や社内規定が、無いに等しい。
というものなのでして。

その会社は、
社員十数名の中小企業だったですが。
まいにち、上司たちから何かしらで怒られながら、
具体的には書かないけれど、
どうしたら怒られるか、というのが、
いまいち、よくわからない。
たぶん、ぼくの実力が無くって、
仕事ができなかったから、という理由もあるだろうけど。
怒られないようにしよう、とは思っても、
それはなかなか叶わない話しだった。というか。

おそらく、その上司の頭の中に、
会社のルールがあって。
このルールは、そのつど、そのつど、
上司の中で、柔軟に変化してゆく。

その変化が、まったく、
読めないし、つかめない。

退職したあと、勉強をしようと、
いろいろ本を読むなかで、
経営の本を読んでいたら、
会社には「就業規則」があるというのを知って。
会社の壁とかには、
規則や規定なるものが貼ってあって。
社員は、その規定を見ながら行動する。
さらには、この規定は社員だけでなくって、
上司や、社長だっても、それを見て行動する。
そうしないと、どうしても、権力がある側の人の、
言いなりになりやすくなってしまう。

たとえば、「憲法」とは、
国民が守るのではなく、
権力者を縛るためにある。
という説明も聞いたことあるですが。

社内規定とか、就業規則とか、行動指針とか、
ルールとか、きまりとか、法律とか、
経典とか、綱領とか、
憲法とか、憲章とか、というのが、
誰かの人の頭の「外」にあることが
だいじなんかもしんない。って思ったのよね。

その「外」にある「きまり」を、
遵守しようとしない、ともなれば、
いろいろ、ブレてきてしまう、
みたいなこともありうると思えるし。
「きまり」が外にあることによって、
あわよくば、誰か、上司とかに対しても、
きまりではこういうふうになっているじゃないですか!
って、つっこめるやもしれない??!

そういうふうに考えてみると、
就業規則みたいなものって、
組織にとって重要なのかもしれないな。

ぼくは、「ほぼ日刊イトイ新聞」が大好きなのですが。
ほぼ日のね、
「やさしく、つよく、おもしろく。」
という行動指針のようなことば、好きだなあー。
シンプルでありながら、かつ、
かんたんなことばでありながら、
でも、やろうとするのは、とってもむつかしい。
と思われるけれどもぉー。

なんだか、ぼくのね、
じぶん自身の「行動指針」のようなことば、
ってゆうのも、なんだろうなあ。
とも考えながら。。。

令和3年7月23日


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