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「贈り物」がスタートするための重大なきっかけ。

前回noteでは、「贈り物」とは
「返礼」である、つまり、まずは
なにかに対しての「お礼」の気持ちがあって、
そのお礼を「返す」ために「贈り物」を届ける、
というのを書きまして。
ここから、さらにもうちょっとだけ、
この「贈り物」について考えてみたい。

「贈り物」で思い出すのは、たとえば、
冠婚葬祭でのことかなあ。

結婚式では「祝儀」、
お葬式では「香典」、
というお金を渡す。
ぼくは、結婚をしたことがないので、
結婚式でのことはわからないけれども、
お葬式については、二年前、
父が亡くなったので経験をしている。

お葬式にて、
お香典を供えていただき、とくに、
高額のお香典を頂戴した方には四十九日の後、
「香典返し」をお渡しにゆく。

このことについて、たとえば、
身内が亡くなり葬儀を行う、ということは、
お金もかかるため、まずは、
葬儀に参列する人が「香典」としてお金を渡して、
そして、四十九日が過ぎてすこし落ち着いたころ、
その返礼として「香典返し」を渡す。
このやりとりというのは、風習として
昔からあったと存じますが。
父の葬儀のとき、これは、
社会のシステムとしてよくできているなあ、
と、感じたんだった。

このことから考えられるのは、
なにかを「渡す」、つまり、
なにかを「贈る」ためには、まずは、
結婚だったり、葬儀だったり、というような、
なにかしらの「理由」が無ければ始まらない。
そして、それがひとたび始まれば
「返礼」が行われる。
という社会の中で、ぼくらは生きている。

冠婚葬祭では、
風習のようになっているけれども、
ここで、むつかしくなってくるのは
「プレゼント」のことよね。

たとえば、なんだろう、
異性へなにかを贈る、というときにはさ、
その異性に好かれたいがために
「プレゼント」を贈ろうとしても、
目論見どおりに、好かれる、
というのには至らず。
ってえことは、ぼくにも経験がございますが。
それはでも、やっぱり、そのプレゼントには、
そのプレゼントを「贈る」だけの
「理由」が無かった、とも言えるんだろう。

つまりはさ、
「贈り物」がスタートするには、
「重大なきっかけ」によってでしか、
スタートされない。

そしてまた、たとえば、
「人に好かれたい」というのは、その
「重大なきっかけ」にはならない。

ならば、
なにかを「贈る」ためには、
とある「きっかけ」によって行われる
いちばん最初の「贈与」があって、その
いちばん最初の贈与への「返礼」によって、
なされるほかない。

それがさ、つまり、この
人間の社会のシステムなんだろうか?

ともすれば、
この社会のシステムの中において、
人と人とが出合い、そして、
贈与と贈与の交換が行われるためには、
どのような「きっかけ」が
必要になってくるのでしょうか?!

というこの問いとは、言い換えれば、
私がモテるためにはどうしたらよいか???
と、同じことやもしらないか。

令和4年12月2日


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