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完璧と最善と集中と犠牲のバランス。

なにかのものづくりを行おうとするときには、
この素人のぼくだってもね、なるべく
最善を尽くせたいと思っている。
たとえば、このブログを書くことにおいても
じぶん自身のできうることを、
できうるかぎり行うことができたら、
というふうには願いつつ、でも、
元来、文章が上手いとは言えないぼくとしては
どれだけ最善を尽くしても、たかが知れている、
とも思いながら、そのあたりのことは
じぶん自身としてはあきらめながら、
このブログの文章を書いているふしもある。

そういう意味で言うとすると、ぼくは
「完璧主義」ではないと思う。
「完璧主義」って、つまり、
物事を完璧に行う、という意味だから
あまりにも大変だと思えるし、そもそも、その
「主義」ということば自体が
つよい語句だと思うし、つまり、「完璧主義」とは
完璧な行動を完璧に遂行してゆく、
ということだと考えられるからこそ、
ぼくには無理だなあとも思う、というか。

「完璧」とは、どういうことだろう? とか、
「完璧主義」と「最善を尽くす」のちがいとは、
なんだろう? ってゆうのはさ、ぼくは
よくわからないと言えばよくわからないけれども。
「完璧」は全く抜け目の無い状態であり、
「最善」はできうるかぎりの範囲で行う、
みたいなことだとは言えるのかなあ。
そして、そのどちらとも
「集中」が関係していると考えられる気もする。

物事を行うには、その物事に対して
集中することが重要だと思うけれど。
一日24時間のあいだずっと、その物事に
集中し続けることはできない。
食事を取らないとならないし、
トイレも行くし、生活もあるし、そして
睡眠だっても取らなければならないから。
ある物事に集中しているあいだには、それとは
別の物事はできない、もしくは、家族等の
誰かがこなしてくれている場合もあると思うけれども。
「完璧主義」と聞けば、そのすべてを、つまり
制作も、食事も、生活も、睡眠も、そのほかの
あらゆる物事をも完璧に行う、
というふうにも取れる気がする、というか。
ぼくは、趣味としてでしか
ものづくりを行わないので、
えらそうなことは申せないけど、
完璧って、すごい、とも思うし、
すさまじい、とも思えるし、どのような
バランスによって行われるものなのだろう?????

ぼくは、ぼくとして、そんな
完璧にはできないですが、
完璧さはあきらめつつも、それでも
最善を尽くせたいと思うときには、なにかは
犠牲になっているとも考えられる。
うまくは言えないけど、つまりはさ、
これらのこととは、いわゆる
「どう生きるか?」が問われているやもしらない。

なにに集中して、なおかつ
なにを犠牲にするか、
を考えることが、つまりは
生きることなのかもしれないか。

令和6年8月13日


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