表紙20

其の百六 米語を元にして

《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(平成20年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

ども、こんにちは。ほんじつもきいてゆくです。

前回noteでは、「で、僕は癪に触って。つまり、五十音あるからってローマ字読みを使ったりするか、って言うじゃあなくて。英語より数が少なけりゃいいだろう、って。書くっていうことを主体にして、それなら僕はすぐ使えますから。そういうのでいいわけだろう、っていう。そういうふうに考えて、何としてでも五十音をもっと、英語の二十何音よりも少なくできないか? という考えで行ったらそれはすぐできるわけで。母音と三列音を並べれば、ちゃんと出てくるじゃないか。」と吉本さんおっしゃるばめんでした。

つづきだよ。。。

それで、そんな馬鹿なことやってられるか。っていうのが、専門家の言うことで。まあ、えー。僕も、そう馬鹿なことと、本当に馬鹿なことだな、と思いますし。(チャプター14 / 第三列音を中心とした日本語の音_7:17〜)

「『そんなバカなことをやってられるか!』と言うのが専門家のご意見で。僕もそう言われれば、ほんとうにバカなことだな、と思いますし。」

ま、だけど、要するにあんまり。日本語をローマ字にして、米語を元にして。それでちゃかちゃかぶっ切って見てると、

「けれども要するに、日本語をローマ字に。米語を元にしてるのを見ていると、」

もうしょっちゅう、僕がしゃべるこの早さでもしょっちゅうこの手を動かしてなきゃあ、しょうがないみたいに。昔のタイピストのように手を動かしてなきゃあ、追いつかない、という。そういうのを見てると、

「僕がしゃべるこの早さでも、しょっちゅう手を動かしてないとしょうがない、追いつかない、という場面を見ていると、」

こ、これ…。これ、おれに。おれにこれやれ、てったって、無理じゃねぇか。っていうふうに思って、そういうの考えたんだけど。誰も相手にしてくれないから。

「おれにこれやれ、って言ったって無理じゃないか?! と思って考えたんだけれど誰も相手にしてくれないから、」

‥‥と、おっしゃるここのところってさ。吉本さんが「タイピストのようにやるのは無理じゃねぇか。」とおっしゃるのは、タイピングの技術だけではなくって。戦争で負けたアメリカの言語を元にしているローマ字を打つことが、心情的に無理だ。ていうことなのかもしれないなぁ。たぶん、だけれど。。。

講演をつづけます。

まあ、自分だけ相手にして。あの。そういう、あの。三列音ということに、ひとつ、あれしてもらいたいな。注意してもらいたい、ってことがあるわけ。

「自分で自分だけ相手にしながら。そういう三列音に注意してもらいたいな、ってことがあるわけです。」

こんかいのところを聞きまして。ぼくだってば、ブログや文章やnoteやこの講演を聞くシリーズだっても、ローマ字入力で書いているので。それは、なにかしら日本語にとってよくないやもしれない、ともおもいながら。かと言って、キーボードのかな入力は覚える気もないし。そーなると、Siri的な音声入力?!

それでは、このつづきは次回noteでききます〜。こんしゅうもはじまった!!!

平成28年11月28日



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