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使うことができることばを駆使しながら。

ある組織では「上意下達制度」及び
「上申制度」というものがあると言われている。

前者の「上意下達制度」とは、
上位者の意志を下位者へと通じさせることであり、いわゆる
「トップダウン」とも言い替えられる。
後者の「上申制度」とは、ぼくは、一昨年公開の映画
『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』
よりこの語句を知ったのですが、ある組織において
下位者より上位者へと意志を伝える場合には、
最下位者より最上位者へといきなり伝えるのはできず、
そのひとつ上の役職の者へと伝え、そしてまた
その役職からもうひとつ上の役職の者へと伝言してゆく、
というふうにしなければ伝えられない。
つまりはさ、いわゆる
「上意下達(トップダウン)」の組織においては、
基本的には、意志は
上位者よりおろされるけれども、
下位者の側より伝えようとする場合には
「上申制度」という方法がゆるされている。

これらの制度(システム)が、
どうして存在するのか?
と考えてみるともすれば、それはつまり、
昨日のブログで申したような
「権力」が関係していると思うのよね。

「権力」とは、
よくも、わるくも。みたいなことを、
昨日のブログの中で申しあげましたが。
よい権力、つまり、ただしい権力が
ただしく機能するためには、
このようなシステムがあるからこそ!
なのかどうかはぼくはよくわからないけれども。
ここから考えられるのは、
「権力」というのは、なおかつ
「権力性」というのは、
「ことば」が関係しているかなあ? って思うの。

「敬語」ということばの使い方もあるけれども、
権力を持つ上位者側は、どんな
ことばをも使うことができるとしても、
逆に、下位者側は
敬語的なことばを使う、言い替えれば、
敬語的なことばしか使えない。
つまり、権力性とは、下位者に対して
ことばを統制する働きがある、
ってゆうふうに考えてみると、
権力性、こわい、とも思えるですが。

そんななかでも、
どんななかでも、まだ
使うことができることばを駆使しながら、
表現できることもあるやもしらない、
というふうにも思いつつ。
でも、このことはさ、
権力を「持つ・持たない」に関係なく、
昨日のブログの中でね、ぼくは
人間関係と権力性は密接に結びついている、
みたいなことをしるしたのですが、つまり、
あらゆる人間関係において
「使うことができることばを駆使しながら、
 表現できることもあるやもしらない」
ということなのかもしれないな。

言い過ぎてもならないし、
言わな過ぎてもならない、というような
そんなバランスがね、つまりは、その
「使うことができることばを駆使しながら」
なのだとも考えられるけれども、
果たしてそんなことができるのかなあ?!
ってえのも思えてくる。

だからこそ、ぼくは
ことばをまなびたい〜。

令和6年5月17日


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