見出し画像

じぶんの教科書。

20代の前半ごろ、もろもろのことで悩んでいて、
そのあるときにね、ふと、
「じぶんがどうしたらよいかがわかる、
 教科書があるといいなあ。」
と思ったんだった。

それを読めば、たちまち、
じぶんの悩みも消えて、
コンプレックスも無くなって、
才能が開花して、成功して、
うまいこと社会で生きてゆける、的な、
そういうような教科書があれば、よい。
でも、そんな教科書はどこにも無いから、
たいへんだわねー。ってなふうに、
当時は思っていた。

そうして、また、あるころ、
たぶん20代終盤だったと思うけど。
この「じぶんの教科書」のことについて、
そんな教科書はどこにも売っていない。
無ければ、じぶんで作ればよいじゃん!
と考えたのよね。

つまりは、じぶんのための教科書は、
だれかが書いたものを、
どこかで買ってくるんではなくって、
じぶん自身で書くほかない。というか。

けれども、
いきなりでは書けないから、
本を読んだり、勉強をしたりして。
たとえば、その読んだ本の中から、
このことはじぶんにも言えそうだから、
という考え方があれば、そのことを
じぶんのことばで言い表そうとする。
そういうことの積み重ねが、
「じぶんの教科書」をじぶんで作る。
ってゆうことなのやもしれん。

まあ、言うなれば、
この「ブログを書く」ってえのもさ、
じぶんの教科書をじぶんで作る、の、
一環なのでしょう。

じぶんのことが、
あまりにも、わからなすぎて、
そんな、じぶんの教科書を、
書き終えられる目処もないけれど。
なんとか、じぶんが、
生きてゆけたらよいなあ、とねがえたい。

令和3年7月25日