声とことばとうそと声色。
声って、なんだろう?
というのもね、考えてみても、
理屈としてはよくわからないんだけど、
なんだか、感覚的には、
とっても大事なものだなあと感じられる。
たとえば、
音楽を聴くときにね、とくには、
歌を聴こうとするときには、
ぼくは、たぶん、
その歌の「メロディー」や、
その歌での曲の「演奏」や、
その歌の歌詞の「ことば」や、
その歌の「内容」などなどを聴きながら、
いちばんは、その歌を歌われる歌手の方の
「声」を聴いている、とも思うの。
その「声」が好きで、
その「歌」を聴きたくなる。
と申しますか。
ともすれば、やっぱり
「声」とは、
とくべつであって、
唯一無二だなあ、って感じる。
「声」には、
意味があるかどうか、
というのは、よくわからない。
それはつまり、逆を言えば、たとえば
「ことば」には、
そこに意味が含まれていて、そこから
その意味を解釈することもできたとしても、
「声」には、
意味がある場合もあれば、
意味がない場合もある。
「声」とは、
なにかの意味ではなくて、
その人の感情なのかもしれない。
とも想ったりもする。
さらに言えば、
「声」とは、
その人の感情だけでなくって、
その人の体調であったり、
その人の心象であったり、
その人の性質であったり、
ってゆうようなことも、
そこでは表れているやもしらない。
とは言ってみても、それは、でも
「ことば」は重要じゃあない、
って言いたいわけでなくって。たとえば、
だれかとだれかとの「おしゃべり」とは、
「声」と「ことば」が合わさりながら、その
「声」と「ことば」によって、
やりとりをしている、というか、つまり
「声」と「ことば」を、
交換し合っている、というか。
ここでふと思いついたのは、
「ことば」は
うそをつくことがあれども、
「声」は
うそをつかないんじゃあないかなあ?
って考えながら、とは言えども、たとえば、
「声色を使う」というような語句もあるので、
一概には言えんとも思うけれども。
はたまた、たとえば、その人が、どういう
「ことば」を言おうとするかによって、その
「声」が変わってくることもあると思うので、
「声」とは、つまり、
あいまいで、かつ、あやふやで、そして、
繊細なものだとも思う。
でもね、大元的に言えば、
「声」はうそをつかない、
というふうに思いつきながら、そのことは、
まだ、よくわからないんだけれども、
「声」と「ことば」のこと、
もうちょっと考えてみたい、と、思ったんだった。
令和5年4月24日