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「考え過ぎ」について。

ぼくはどちらかと言えば、何かあれば、
じぶんの中で考え込んでしまう質なので、
ときには、他人から、
「考え過ぎじゃあないの?」と言われることもある。

そういうときには、
やっぱり、反省するんだけれども。
何に反省するか、と言ってもね、
「考える」ことを「し過ぎる」のをやめよう、
とはあんまり思っていなくって。
もっと、ちゃんと、考えよう。と反省する。

おそらくはさ、
「考え過ぎじゃあないの?」と言うのも、じつは、
考える「量」のことを言っているんでなくて。
考えてからの「結果」とか、
考えたあとの「論旨」とか、というような
考える「質」のことを言われていて。
それが、ちぐはぐのようになっているから、
つまりは、考えがうまく行っていないから、
「考え過ぎじゃあないの?」
と言われるんじゃあないか? って考えながら、
考えることができていないことに反省しながら、
もっと、ちゃんと、考えよう!
って思うのよね。

考え込んでしまうようなぼくとしてはさ、
すっと、さっと、ぱっと、ぴかっと、
器用に答えを出すこともできないし。
不器用に、愚直のように、愚鈍のように、
考えようとすることしか、できないから。

そう思いながら、あらためて思い出したのはね、
若いころ、たしか20代前半ごろだったと思うけど、
「さいきん、考えることが、うまくなった。」
というのを、ぼくが言ったことがあって。
でも、それは、今思えば
けっこう反省している。
そのときのじぶんは、ある意味では、
思い上がりだったとも思えるし。
もっと言えば、考えることには
「うまい」も「へた」も無いような気がしている。

こうしたら、よいのか? とか、
こうすると、よくないのか? とか、
これとこれをむすびつけると、どうなるのか? とか、
いや、なんか、よくわからんけど、
ちゃんと考えられるようであれたら、と思いながら、
なかなか、むつかしいわ、とも思う〜。

令和3年8月2日


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