見出し画像

「どうしたらよいか?」という問いについて。

どうしたらよいかわからないときに、どうしたら、
どうしたらよいかをわかるようになるか?
というのは、非常にむつかしい問題だと思う。
って考えるときにね、
事をむつかしくしているのは、その
「どうしたらよいか?」という問いなのやもしらない。

「どうしたらよいか?」の問いは、
「よい」がゴールになっている、
かつ、さらに、その「よい」とは
「いちばんよい」だとも思えるから。
つまりはさ、この
「どうしたらよいか?」を言い替えるとすれば、
「どうしたらいちばんよい状態にできるか?」
という問いになっていて、それは、もう
答えを出すのはとっても困難なんだろう。
ともすれば、たとえば、
「どうしたらよいか?」ではなくて、
「どうするか?」でもよい気がするの。

もちろん、最高の
パフォーマンスを行おうとすることは、
大切なのだと思う。でも、それは
やはりむつかしいことであって、
ならば、最高でいちばんよい完璧な状態を
いきなり目指すよりかは、
最悪の状態から、その最悪よりかは
ひとつぶんだけよい状態にするためには、
どうするか? を考える。つまり、
いちばんわるい状態と、
にばんめにわるい状態とを比べるならば、
にばんめにわるい状態のほうを目指す、
というか。そして、その後、
にばんめにわるい状態からひとつぶんよい
さんばんめにわるい状態のほうを
目指してゆく的なこともできるだろうけれども、
そういうのを積み上げてゆく。
ってゆう方法のほうがね、
建設的のようにも思えるけれど、
どうなのでしょうか?!

そういうようなときに大切なのは、
「変える」か、「変えない」か、
だと思う。つまりはね、たとえば、
この場にとどまるか? それとも、
べつの場所へと移動するか?
べつの場所へと移動すると決めたならば、
まずは、その場から移動すること。
移動する前の段階から、どこへ行けば
いちばんよいか? というのは考えられない。
移動しながら、状況を見ながら、考えればよい。
移動するよりも、この場に
とどまったほうがよいと思えば、
そうすればよいし、つまり、物事を
「変えない」ほうがよい場合もあるのでしょう。

ある状況において、あわてふためいて
右往左往するならばするで、
右へ行ってもよいし、
左へ行ってもよいし、
右か、左か、というような
どっちのほうがよいかなんてわからないけれど。
右往左往したぶんだけ、その状況を
よく観えてくる物事もあるやもしらない。
でも、そんなときにはさ、
「どうしたらいちばんよいか?」ってえのは
なかなか考えられない。
と、ぼくは思うんだけどね〜。

令和6年8月12日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?