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ぼくは、祈る。

日々、祈っている。

それはつまり、とくに
このごろにおいては、
祈っていないと、
気持ちのバランスが保てない、というか。
いや、なんだか、
「保て『ない』」と言うと、
否定的な感じがするから、
そうではなくって、
でも、ほかの言い方では、
うまく言えないんだなあ。

祈ったところで、
なにも変わらない、
どうしょうもない、
って言われたとしても、
たとえそうだとしても、
ぼくは、祈りたい。

それは、たとえば、
ぼくの住む愛知県豊橋市では、
市内の養鶏場さんにて、
鳥インフルエンザ感染疑いのある
ニワトリおよそ33万羽を殺処分した、
というニュースがございましたが。
ぼくは鳥インフルエンザに関して、
詳しいことはなにも存じないので、
殺処分に関してもなにを申せないけれども。
でも、そんな、このごろにおける
たくさんの「死」について、
ぼくは、祈る。

同じく先日の市内では、
豊橋駅近くの道路にて、
乗用車とマイクロバスとの事故があり、
一人の方が亡くなられた。
テレビや新聞にて、この
ニュースを観ながら考えながら、
ぼくは、祈る。

市内だけでなくって、
国内においても、
このごろでは、
大雪による被害のニュースを観ながら、
ぼくは、祈る。

国内だけでなくって、
国外においても、
たとえば、
戦争のニュースを観ながら、
ぼくは、祈る。

現在だけでなくって、
過去においても、
先日、母が以前ビデオ録画をしていた
広島及び長崎の原爆のテレビ番組をね、
母と二人で観ながら、その光景に、
ぼくは、祈る。

12月には、
ジョン・レノンのことを想いながら、
ぼくは、祈る。

それらのほかにおいても、
多くの事故や事件や災害や病気について考えながら、
ぼくは、祈る。

そしてまた、
じぶん自身においても、
どうか、健康ですごせますように。
と、
ぼくは、祈りたい。

祈らずにはいられないならば、
祈れば、よいんだ。

令和4年12月22日