文章とパンくず。
ブログを書くときには、たいていの場合、
こういうことを書こうかなあ? ってゆうのは、
なんとなく事前に考えてあって、
考えてあったそのことを、毎回、書き始める。
でも、事前に考えてあった
「そのこと」というのはさ、
なんとなくのだいたいな感じなので、
ブログの文章にしようとすると、
ブログを書いているあいだに、
ことばとことばとがうまくつながらない、とか、
ここはもうちょっとくわしく書かないと、とか、
じぶんは本当はどう思っているんだろう、とか、
を、考えながら、一文字ずつ、一文字ずつ、
文章を書き進めてゆく。
一文字ずつ書いてゆくうちにね、とちゅうで、
こっちの道に進みたくなっちゃった、
みたいなこともあったり。はたまた、
これって、どういうことなんだろう?!
って、あらためて調べたり思ったりするなかでは、
へぇー、そういうことだったんだ!
と気づく、みたいなこともあったり。
それによって、なんとなく事前に考えていた
内容の方向性も変わってきたり、
事前にはまったく思ってなかったことを
思い出したり、思いついたりすると、
なんだか、けっこう、うれしかったりする。
そういうときにはさ、その文章が、
書いているじぶんにしかわからない
じぶん自身の「アイディア」のように思えるし。
つまり、そういうのがさ、
ブログを書く醍醐味とも思われる。
文章として、
一文字ずつ、一文字ずつ、一文字ずつ、
文字を書いてゆく、というのは、なんだか、
童話『ヘンゼルとグレーテル』での
森の中で置いてゆく「パンくず」のようだなあ。
迷い込んだ世界から抜け出すために、
道筋にまく「目印」としての、
文章であり、ブログなのやもしれないな。
ここで何してるの? ぼくはどこにいるの?
令和3年8月27日