20191212空

大学入試改革のことで思ったこと。

大学入試改革のことはさ、
ぼくも、すこし、考えたりするのですが。

そもそも、共通試験を変えることが、
どういうふうに教育によい影響を与えるか、みたいなことが、
ぼくにはよくわからないな。
試験方法を改善することによって、これまでの
マークシート方式のセンター試験ではわからなかった、
本当の学力、みたいなことを測ることができる。
というふうらしいけれども。
そういうような「本当の学力」的なことがあるとすれば、
そういう「学力」って何なのだろう???

ってゆうのは、でも、ぼくはよくわかんないので、
ちょっとよこに置いておいて。

国数の記述式試験の導入は見送りになった、とのことですが。
懸念として挙げられていた記述問題における「採点」って、
やっぱり、むつかしそう、と申しますか。
ぼくも、学習塾講師のアルバイトをするなかで、
生徒が解くテキストの正否を見るですが。
とくに、短文とか文章を記す記述問題の正否は、
たいへん、と申しますか。

たとえば、
「キーワード」が含まれているかどうか?
を見るにしても、仮にそのキーワードが入っていたとしても、
記された文章が文法的にすこしだけおかしい、
と思えたとして。その正否をどうしたらよいか、ってのは、
あいまいだし、むつかしい。

また、たとえば、
文章中の「漢字のまちがい」だっても、
その漢字をかんぜんにまちがえているばあいは、
まちがいとつけられるにしても、たとえば、
それがほんのちょっとだけのちがいだとしたら。

たとえば、ほんとうは
【未来】と書くべきところを、
「未」でなくって「末」にしてしまって、
【末来】と書かれていたら。はたまた、たとえば、
【吉】という漢字を、
上の棒が下の棒よりも短く書かれていたら。

というような、あらゆるすべての漢字において、
どこまで厳密に見るべきか???
というのは、ほんとうにむつかしそう。

(ぼくとしてはさ、後者の【吉】のばあい、
「士」に「口」のほうだけが正しくって、
上の棒が下の棒よりも短い「土」に「口」では、
まちがいなのかどうかもよく知らないけれど。)

あとは、やっぱり、
「記された文字が、読めるかどうか?」
というのも、むつかしそうで。たとえば日本語には、
「書き殴る」という語句もございますが。
そういうような「書き殴られた文字」を見ると、
ほんとうに「殴られた」みたいに感じるもので。
解答は合っていたとしても、そういうような、
「書き殴られた文字」で書かれてあれば、
はたまた、「くせ字」のような文字であれば、
正否はどうなるのでしょうか。

でも、ぼくだっても、字は汚いほうなので、
ひとのことを言えないが。。。

ぼくはさ、たとえば
「記述の試験」というのは、
受験者から、試験官や採点者へとおくる
「手紙」みたいなものだと感じる。

採点者の先生、および、受験をする学校によっては、
たとえば、
字が汚い学生は、取りたくない。とか。
そのぎゃくに、多少字が汚くとも、
ちゃんと問題が解けているかを優先的に見たい。とか。
もっと言えば、たとえば、
記述問題の解答の中に「キーワード」は入ってなくとも、
もう、誰も考えつけないかのような
ユニークな解答をする学生と出合いたい。
というケースもあるやもしれないし。

そういうような「記述試験」の解答を、
その受験生が入学をしたい学校の先生が
採点するのでなくって。
その学校とはとくに関係のない第三者の採点者が、
全国的に統一されたマニュアルと照らし合わせながら、
採点をするのは、無理があるような気もする。

もしかしたら、
現行のマークシート方式だっても、
いろいろ問題はあるのやもしれないけれども。

でも、おそらく、完璧なテスト、なんてのは、
存在しない。と申しますか。
とある小説の書き出しをもじって申しあげますと、
「完璧なテストなどといったものは存在しない。
 完璧な絶望が存在しないようにね。」
みたいな?????

どうか、受験をなさる学生が、
将来恩師と呼ぶ先生と出合うことができますように。。。

令和元年12月12日


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