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「敬語」について考えること。

大人の年齢だと言えるぼくは、でも、
敬語って、恥ずかしながら
いまだむつかしいと思える。
そしてまた、学習塾講師として勤めるぼくは
小学生や中学生の生徒さんに、国語の単元で
敬語の考え方を教えるのもむつかしいと感じる。

敬語には、大きくわけて
尊敬語、謙譲語、丁寧語があるとされるけれども。
このなかでは、みっつめの
「です」「ます」等をつける言い方の丁寧語は
わかりやすいとしても、でも、
尊敬語と謙譲語はわかりがたいと思える。

尊敬語は、じぶん自身よりも
目上の人が行う行為に対して使う。
謙譲語は、じぶん自身が
へりくだり行う行為に対して使う。たとえば、
「言う」の尊敬語の「おっしゃる」とは、
そのことばを言っているのは相手であり、また、
「言う」の謙譲語の「申す」とは、
そのことばを言っているのはじぶん自身である。
つまり、尊敬語と謙譲語とでは
その行為を誰が行うか、というような
行為の対象者の「主語」がちがう。
みたいな説明はできるともしても、
それ以上の説明はけっこうむつかしい。

とくに、小学生の生徒さんに対して
これらを説明する、ってえのは
非常にむつかしいと思われる。
なぜならば、小学生では
尊敬語及び謙譲語を使う必要性がないから。

とは言ってみても、尊敬語のほうは
まだイメージしやすいと思う、つまり、
「目上の人」という概念は、
学校の先生とか、お父さんの会社の上司とか、
ある意味では身近に存在するから。
でも、謙譲語のほうはね、
じぶん自身が「へりくだる」という概念が
子供には想像しにくいと思える。
逆を言えば、謙譲語を、日常的に
たくみに使う小学生がいたら、
ちょっとこわい気もするもん。
でも、大人は、日本で生活するとして
尊敬語及び謙譲語を使いこなさければ、
社会では生きてゆけない。

敬語、もしくは、尊敬語って
相手を尊敬しているから使う、
というわけじゃあないと思われる。
つまり、尊敬しない人に対して
敬語を使わない、となれば
それはそれでトラブルのもととなりそうで。
もちろん、尊敬する人に対して
敬語を使う場面はあるとしても、
よく知らない人や初対面の人、もしくは
社会上における立場のちがう人に対して、
「敬語」ということばは使われる。

そう考えてみるとね、
敬語のむつかしさやわかりにくさって、
「敬語」というネーミングが、その
要因となっているやもしらないな。
ともすれば、それを言い替えるとすると
なんだろう?! たとえば、
社会で使われることばなのだから、
「社会語」と言ったほうがイメージしやすいやもしらない。

ぼくだっても、大人の年齢になってから
じぶん自身の考えを相手に伝えようとする際、
敬語を意識せずにそのままの言い方で言うと
ぜんぜん聞いてもらえなくって、でも、
尊敬語及び謙譲語を意識しながら話すと、
話しを聞いてもらえる、
というような経験もございますが。
社会の中で話すときには、
社会で使われている言語、つまり
「社会語」と言えるかのごとくの「敬語」を使うと、
けっこういろいろうまくゆく状況もあるかもしれない。

そんなことをね、
でも、小学生の方に伝えるのも
むつかしいよなあ、と存じます。

令和6年5月18日


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