其の三十四 芸術言語論の中へ
《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(2008年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》
こんにちはー。
前回noteでは、「あらゆる人間の表出は、自分も同時に変化し、そしてまた自然をも変化させてるんだよ。っていう、そういう自然との相互関係は必ずつきまとうわけです。この相互関係を除いて物事を考えることは、たぶん相当、狂いを生じるだろう。と僕は考えますから、そこを特に強調しておきたいと思います。」と吉本さんおっしゃったばめんでした。
このつづきを。。。
さて、そこから。あの、僕の芸術言語論というものの中に入っていくわけです。(チャプター07 / 精神と表現の型_0:00〜)
ここから、いよいよ『芸術言語論』のなかへ。
の、これを踏まえてうえの画像は講演パンフレット掲載の「構成表」にしましたっす。
そして、、
で、第一に。第一に僕が考えてることは。あの、なんて言いますか…、(すこし物音がしてから「ピッ!」という時計の音(かな?)が鳴り、) あれ? …もう三十分経っちゃった(笑)。
30分がたった。。。
考えたことは、考えたいことは、要するに。人間の精神活動と、
「人間の精神活動」と、
それから言語と、
「言語」と、
それから、何と言いますか。言語の極限と言いますか。言語の極限っていうその3つを、あの、
「言語の極限」というみっつを、
ひとつなぎとして考えたい、ってことがあるんです。
ひとつなぎとして考えたい。
‥‥っていうのは、どーいうことなのだろう?! このつづきは次回noteで聞くです。雲にすこしかくれた月がめっちゃきれいだったしー。そんで、よいれんきゅーを過ごしてね!!!
平成28年9月17日
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