第53回 こぼれ落ちたもの
【げんざいこのnoteでは、吉本隆明さん講演『喩としての聖書−マルコ伝』を聞いております。だい53かいめ〜。】
こんにちはっ!
前回noteでは、ある母親とイエスによる対話について聞きまして。つづきを聞いてまいります。。。
そうすると、あの。実際のメタファーとしてそう言っているほんとうの意味は何を言おうとしているのか? って言ったら、結局、あの。じぶん、まぁそれ、これ違うかもしんないし。あてになんないからあれなんですけどね。知ら、わかんないですけどね。まぁ、あの、わかんないけど。要するに、(チャプター10 / 謎々がわかることは信仰が篤いこと_7:51〜)
この対話のほんとうの意味とは要するに、
「まず、こどもに飽かしむるべきじゃないか」って言うことはね、「おれ、くたびれちゃってんだ」って言うことだと思います。
「まず、こどもに飽かしむべし」は、「おれ(イエス)は、くたびれちゃっているんだ」て言うこと。つまり、
おれ、くたびれちゃったんで、静かに休んで祈ろう。っていうふうに思っているのにねぇ、いるところに、その。ほんとうに祈って、つまり、神に。すこし精神を統一して、さわやかにしよう。って思ってんのにねぇ。疲れちゃったんだ、って。
くたびれちゃったからさ、しずかに休みながら祈ろうかなー。精神を統一してさわやかな心持ちになろう! って思ってんのに、
それなのに、やってきてね。そういうふうに、こう、こどもたる、神のこどもである自分がまず憩(いこ)って、それで精神を統一してね。精神を浄めて。そういうふうにならないうちにねぇ、あの、それでやってきて、
まだ休まらないうちにやって来ちゃって、
それで、こどもが。そのね。悪鬼に憑かれて治してくれ、って言うのはねぇ、よくないよ。っていうふうに言ってるんだと思います。よくないことじゃないかっ。そういうのはよくないんだよ! って言ってるんだと思います。ところが、
そーいうのはよくないんだよ! と言っている。だけれども、
答えた母親のほうは、いや、そういうわけじゃないんだ。あの、ただこどもがね。つまり神の子たるあなたがね、憩ってる、その、憩った時にも、ところにね。なお、若干のゆとりはあるでしょう。つまり、あの、
母親は「いえ、そういうわけではございません。ただ、神の子たるあなたが憩ってる時にも、なお、若干のゆとりはあるでしょう。」と答えて。
つまり、
食べくず、ってのはあるでしょう。ね? 食べ残しのくずってのは、こぼれ落ちる、ってことはあるでしょう。そのこぼれ落ちるそれを、そのこぼれ落ちたものを、自分のこどもにね、与えて治してくれ。って言ってるんですよ、って。
「食べくずと言うのはあるでしょう。それが、こぼれ落ちることはあるでしょう。そのこぼれ落ちたものを、私のこどもに与えて治してください。おねがいします。
けっして、その。あなたのね、その憩おうとしている、あるいは神と言葉を交わそうとしている、それを、
これは、けっしてあなたの憩いを。また、神とことばを交わそうとなさるあなたの時間を、
邪魔しよう、って言うふうに。邪魔してひったくっちゃって、こっちに奇跡をよこせ! って言ってるんじゃないんです。って言うふうに母親は答えたんだと思います。つまり、
邪魔しようとは…。邪魔してひったくって、こっちに奇跡よこせ! って言ってるわけではないんです。」とのように母親は答えた。とのこと。
「つまり、」
と、吉本隆明さんつづけておっしゃることについては、次回noteで聞きます〜。
いま、吉本ばななさんの著書『イヤシノウタ』を読んでいるんだけどもね。そのなかで、ばななさんが書いておられる吉本隆明さんのことが、なんというか読んでいてことばにならない、みたいに、せつない。。。
平成28年7月31日
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