年末の喧騒、来年の願い。
「来年の事を言えば鬼が笑う」と言われるけど、
たとえば、この年末の喧騒ってえのは、
来年の事を言う人々の声々を聞いた鬼々が、
笑い転げているからこその、
喧騒なのやもしれないか。
でもさ、しょうがないじゃん!!!
昨日ならば、明後日になれば、
今日なんか、明日になれば、
来年なんだから。
「もういくつ寝れば」とか、
歌っている場合じゃあないもん。
年越しの瞬間は、起きているんだから、
もう今さら「いくつ」とかでもない。
鬼は、そんな大晦日の今日にでも、
明日のことを言えば、
笑うのでしょうか。
それならば、とくに今日とかは、
爆笑のうずかなあー。
ぎゃくに、例年おとずれる
元旦の静けさとは、
年が明けたことによって、なかなか、
来年の事を言われなくなったからこその、
静けさなのやもしらない。
元旦になれば、来年は
366日後なのだから。
366日後以降のことについては、そうそう、
何年先の予定のある人でもないかぎり、
言われないから。
鬼さんも、今日が、
笑い納めであり、つまりはさ、
仕事納めなのだろう。
明日になり、無事に
来年になったとしても、
その今年のことはもちろんのこと、
たとえ鬼が笑ったとしても、
そのまた来年のことも、
祈りを込めながら、想いたい。
鬼からも、ひいては、人々さえからも
笑われるともしても、
日々、つまり、年がら年中、
「よいお年を!」と想いながら、
よい年に成るように。。。
って、いつでも願いたいんだぜ〜。
令和3年12月31日