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聞き分けがいいから。

映画『となりのトトロ』の終盤のシーンで、
入院しているお母さんと、お見舞いに来たお父さんが、
病室で話していて。そのとき、
お母さんが、長女・サツキについて
「サツキなんか聞き分けがいいから、
 なおのことかわいそう。
 退院したら今度はあの子たちに、
 うんとワガママをさせてあげるつもりよ。」
と言っていて。このセリフを聞きながら、そうか、
「聞き分けがいい」って、あながち、
よいことばかり、というわけでもないんだな。
と思ったのよね。

ぼくは、パートで、
学習塾講師のお仕事をしているのですが。
たとえば生徒さんのなかでもね、指示すれば
そのとおりにしようとしてくれる生徒さんもいれば、
指示しても、なかなか、塾の勉強を
こなそうとされない生徒さんもいて。
つまり、聞き分けのいい生徒と、
聞き分けのよくない生徒がいる、としたときにはさ、
聞き分けのいい生徒のほうが良い生徒で、
聞き分けのよくない生徒は悪い生徒だ、
とは、単純に、思えない。

ぎゃくに、
聞き分けがよくない、ということは、
本人の意思がある、と解釈できるだろうし。
また、聞き分けがよい、とは、
本人の心の奥底のほうで、なにかしら、
見えないつらさを抱えているやもしれない。

ぼくだってもね、子どものころ、
聞き分けのよい部分はあったとしても、
聞き分けのよくない部分もあって。
聞き分け、というのがさ、なんというか、
じぶん自身の聞き分けのよい部分が、
のちのちになってから、ぎゃくに、
困難さとして表出してきた、ってゆうか。
いや、うまく言えないんだけれど、つまり、
聞き分けをよくすることが大事なんだ、と、
思っていたふしもあって。
でも、そういうことばかりでもないんだろうって、
今では、思える。というか。

そんなような、
「聞き分けがよい」のことをね、このごろ、
また、ちょっと考えていたのよねー。

令和3年10月29日


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