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じぶんの場所。

うまれつき視力がよくなくて、また、
斜視でもあったぼくは、小学1年生のとき、
その斜視の手術を受けた。
そのときの目の手術のさいに学校を休んで以来、
中学校および高校卒業まで、
一日も学校を休まなかった。

学校を休まなかった理由というのは、
学校が、案外、嫌いじゃあなかった、
というのもあるだろうけど、ただ単に
「学校とは、行くものだ。」というような、
義務感みたいなものを思いながら、その思いに
じぶんが駆動させられていただけやもしれない。
つまりはさ、そのときにどう考えて、
毎日、学校へ行っていたか? ってゆうのは、
真実のところはもう思い出せないけれど、
じつはただの義務感だけで、つまり、
なんにも考えていなかったような、
じぶんがばかだったから、
学校を休まなかった、と言えるやもしれないか。

そして、でも、その後、
大学生になって、はたまた、ぼくは
大学新卒で入った会社を約半年で辞めてから、
とある専門学校へと入学しているのですが。
大学でも、専門学校でも、高校までのころとは違って、
学校を休むことがたびたびあった。
その理由はさ、もう、なんとゆうか、
「精神的に、」と言えば、すこしばかり
聞こえはよくなるやもしれないが、
誰のせいでもなく、ただ、ただ、
ぼくが何も考えていなかったから、つまり、
じぶんがばかだったから、
というのが、その理由だった、と、
今になって考える。

だから、これらをまとめて言うとすれば、
いずれにしろ、
ぼくは、ばかだった。
ということなんだろうなあ。。。。

ってゆうようなことをね、
きょうのブログで、書きたかったわけではなかった!

たとえば、なんだろう、学校を休まなかった
中学や高校のときでもね、
学校がすべて楽しくって、
不満も心配も嫌なこともなんにも無かった、
というわけではなかった。
それでも、学校へ行けていたのは、
友達がいたから、というのも
多いにあるのだろうし。
また、やっぱり、
漫画とか、ゲームとか、テレビとか、音楽とか、
などなどによって、なんとか、
平静がさ、いや、本当に平静だったかは知らないが、
じぶんの気持ちが保たれていたやもしらない。

それは、おそらく、
この今だっても、たとえば
「じぶんの好きなものごと」によって、
なんとか、日々が保たれている、
とも言えるのかなあ?????

ぼくをふくめただれしもに、
ほんのささいでもよいから、
「じぶんの好きなものごと」
というような、
じぶんの場所があれば、
と、願う。

その場所とは、決して、
壊されず、
侵されず、
脅かされず、
いつでも保ち続けるものであるように、
と、祈るよ。

令和4年8月31日


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