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季節が巡る研究。

季節は、毎年、毎年、
春→梅雨→夏→秋→冬→春→梅雨→夏→秋→ と、
あたりまえのように巡るけれども。

それが、あたりまえだというのはさ、
季節が巡ることを、
知識として、知っているから、
あたりまえだと思えているんであって。

たとえば、もしも、そういう知識が、
まだ無かった古代の時代に、
ぼくが生まれていたとして。
気温やら、天気やら、湿度やら、が、
日ごとに変化してゆくのを、肌で感じながらも、
そのことを、これは、
一年間のサイクルなんだ! と、
ぼくが考えられるかどうか?! って言うのは、
ぼくには、むつかしい、とも思われる。

季節がまた巡ってくることが、
毎回、同じ周期でやってきて、
それを「一年間」と名づける。

なんてぇことを、一度の季節だけでは、
わからないんだから、二度、三度、四度、五度、、
と繰りかえしながら、過ごすうちに、
寿命が尽きてしまうやもしれないし。
古代の日々の生活の大変さによって、
計測とか、研究とか、考察とか、思索とか、も、
できにくいかも、とも想像する。

でも、現在、ぼくらが使っている
「カレンダー」があるのは、
かつての古代からの人たちの
研究や考察や思索の賜物なんだろう。
って思ったりして。

それによって、気温とか、天気とか、
台風の予測とか、雪が降るかどうか、とか、
服装や、旬の食べ物や、稲作や、農業や、
秋の夜長の読書や、お月見や、季節の星座、などなどを、
味わうことができるやもしれない。

みたいなことをね、
ふと、思ってみたりした。

そんな、この季節!!!

令和3年10月22日


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