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セーブするみたいに。

テレビゲームの「セーブ機能」って、
現在では当たり前ではあるけど、
昔は、そうでもなかった。

たとえば、ファミコン版の
ドラゴンクエストの「1」や「2」を、
ぼくは遊んだことがないので、
冒険の記録のためにパスワードを入力する
「ふっかつのじゅもん」は、
リアルには体験してないけれども。
ぼくがプレイしていたゲームボーイの初期のころ、
ほとんどのソフトでセーブ機能は無くって。
毎回、オープニングから、エンディングまで、
連続しながら遊んでいたのが、
あるころからセーブ機能が搭載されるようになって。
「セーブができる」ということがさ、
憧れだったもん。

セーブ機能によって、
ゲームの自由度が上がる、というか、
ゲームの遊び方が変わる、というか。
もっと言えば、そもそも、
きょうはここまであそんだ、
あしたは、このつづきから。
ってゆうのは、楽しいなあと思ったんだった。

ゲームのセーブ機能とは、
読書における「しおり」のようだ。

きょう読んだページのところに、
しおりをはさんでおけば、
あしたは、そのページから
本のつづきを読むことができる。
本にしおりをはさむことによって、
あしたは、きょうとはちがう
景色をながめることができる。

そんなふうにして、
日々も、過ごしたい。

つまりはさ、
「ゲームでセーブする」みたいに、
「本にしおりをはさむ」みたいに、
「物語をすすめてゆく」みたいにしながら、
きのうのつづきは、きょうで、
きょうのつづきは、あしたで、
あしたのつづきは、あさってで、
あさってのつづきは、しあさってで、
ってゆうふうに過ごすことができれば、
いつか、どこか、だれかのところへと、
たどりつけるんだと思えたい。

いきつ、もどりつ、まよいつつ、
おぼえつつ、わすれつつ、まなびつつ、
ときには、堕落しつつ、しながら、
この日々を過ごせたい。

令和3年9月24日