センサーとセンスと宿命的な命題。
疲れてくると、
じぶんの周囲を感知する
「センサー」がにぶってくる。
だからこそ、なるべく
疲れないようであれたら。。。
って思いながら、でも、それはさ、
どだい、むりな話しでもある、というか、
なにをしたっても、疲れてくるんだから、
疲れてきたときこそ、
どうするか? というのはさ、
宿命的な命題でもあるような気がしている。
ふと、思ったんですが、
「センサー」ということばって、
「センス」から来ているのかなあ???
英単語で見てみると、
「センサー」は【sensor】、
「センス」は【sense】なので、
【sense】の最後の【e】が【o】へと変わり、
【sensor】という語句になっている。
なので、語源的には、
どこまで関係性があるかはわかりませんが、
やっぱりどこか関連しているような気もする。
日本語で言われる「センス」って、たとえば、
「センスがよい」と言えば、
おしゃれ、とか、
かっこいい、とか、
才能がある、とか、つまり、
「感性」の意味で言われると思うけれども、では、
「センサー」のほうはさ、
感知する、とか、
検知する、とか、
知覚する、とか、つまり、
「感覚」の意味として使われている。
でも、この
【sense】をね、英語の辞書
(リーダーズ英和辞典 第3版)で調べてみれば、
「感覚、知覚、五感、感覚器官」
という意味で掲載されていて。
ともすれば、日本語における
「センス」ということばだってもね、
「センサー」のごとく、
「感覚」的な意味も持ち合わせているやもしらない。
じぶんの周囲を感知する「感覚」のことを、
「センス」と言うならば、
「センス」とは、
おしゃれとか、才能とか、以上に、
とっても大事なことかもしれないなあー。
疲れたら、
疲れてにぶくなってしまった「センサー」を、
休むことによって、復活させたい。
そしてまた、いつも、どんなときでも、
「センス」によって、
この世界を知覚できたい。
どうしたら、
「センス」というものを、
みがくことができるものか。
令和4年11月26日