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先送りにして一旦置いておくこと。

問題の先送りはしないほうがよい、
というのはよく言われることだと思うけれど。
つまり、やらなければならないことを
先延ばしすると、その物事の事態がもっと
さらに大きくなってしまって、
解決も大変になってしまう、だから、
先送り、つまり、先延ばししないほうがよい。
という考えがあるとして、ぼくも
そういう場合ってあったと思うし、
大切なことなのだと思える。
でも、とあるときには、結論を
先送りにしたほうがよい場合もあるとも思う。

たとえば、
じぶん自身の考え方について、もしくは
じぶん自身の思想や信条や心情についてを
考えようとするときには、その結論を
すぐに出そうとせず、つまり、最終的な答えを
決め込まず、急がず、かちっとつくらず、
ふわふわっとさせておくこと。

最終的な結論を出してしまったら、それは
最終的な結論なんだから、以後、
変えるのもできがたくなってしまうし、
いや、でも、そういうような結論を
変える必要があるかどうか?! ってえのは、
その考えている問題によってもちがうと思うけど、
そもそも、人は変わるのだから、その都度
考え方や思想や心情等も変わってゆく。
そのときにね、じぶん自身には
確固たる結論があると思ってしまえば、
じぶん自身の変化に対応できがたくなる。

だからこそ、問題を
先送りにしたい、と申しあげますか。
もしくは、たとえば
結論めいたようなことを出すときには、
「仮説」にしておく、というか。

仮説とは、
仮説なのだから、
仮の考えとして、
一旦、それで、置いておく。
仮説は、その
仮説が破られないかぎり、つまり
仮説が生きているかぎりは、
仮説でありつづけながら、
ある考えを導き出したようなときには
仮説がほどける場合もあるけれども、
そういうときには、また別の
仮説を立てようとする。

わからないことだっても、
考えても考えても考えてもわからなければ
一気にわかろうとはさせずに、
そのうちにわかるでしょう、と思いながら
一旦置いておくこともときには大事なんだろう。

締切りがあるようなことについては、
締切りを守る、つまり、そのことを
先送りにはしないほうがよいと思うけれど。
たとえば、考えることには
とくに締切りも無いんだから、
一旦置いておいたり、仮説を立てたり、
してもよいやもしらない。

いや、このことだってもね、
ほんとうにそうなのかよくわからないが、
今は一旦、そういうことにしておこう。

令和6年7月13日


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