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「光」と「音」と「体」のコミュニケーション。

クルマの運転中、
道路を行き交うドライバー同士では、
会話ができない。
ってゆうことにね、あるころ、
ふと気がついたんだけれども。

ドライバー同士のあいだで、
ことばが使えないともすれば、もっぱら、
ウインカーやライトというような、
「光の点滅」によるコミュニケーションが
主なのだと、当初は思っていたですが。
もっとよくよく考えてみれば、
ぜんぜん、それだけではなかった。

「光」によるコミュニケーションとしては、
道を曲がるときのウインカー、
道の脇で停車するときのハザード、
道に入れてくれたときのハザードをパカパカ、
道を譲りたいときにパッシングでつけるヘッドライト、
はたまた、クルマに具わる機能として、
ブレーキを踏めば点灯するブレーキランプ、
ヘッドライトをつけると同時につくテールランプ、
ギアをバックに入れたときにつくリバースランプ、
霧のときに点灯させるフォグライトは、
ぼくは使ったことないけれど。ってゆうような、
そんな「光の点滅」も、もちろん大事ではあって。

そしてまた、「光」以外でも、
ぷっぷーと鳴らすクラクションや、
緊急車両のサイレン、というような、
「音」のコミュニケーションもあるですが。

たとえば、
せまい道をすれちがうときには、相手に対して、
片手を上げながらあいさつしたり、
顔を向けて会釈したり、という、
「体」を使ったコミュニケーションも行われる。

ことばは使えないからこそ、
「光」や「音」や「体」を
フルに使いながら、運転がされている。

ぎゃくにね、
「ことばが使えない」ということは、
運転には「ウソ」がない。
ってゆうことだし。むしろ、
うまいことばや気の利いたことばが
とっさに出てこないような、
しゃべるのがあんまり得意でないぼくにはさ、
運転でのコミュニケーションは、
どことなく、気楽に思われる部分もある。

音楽を聴きながら、
頭のなかでは考えごとをしながら、
前方を観ながら、
バックミラーで後方も眺めながら、
まわりの雰囲気を感じ取りながら、
きょうも、あしたも、あさっても、いつでも、
安全運転でまいりたい〜。

令和3年6月11日


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