一文字の分岐点。
さくじつのブログでは、ぼくのブログとは、
「前日のブログ」と「翌日のブログ」が
連想ゲームのように、連なっていることが多い。
みたいなことを書いたですが。
ともすれば、つまりはさ、
前日に書いたことが、
今日へ影響するし。
今日に書いたことが、
明日へ影響するし。
明日に書いたことが、
明後日へ影響する。
って言えるんかもしれないか。
そして、その、毎回のブログだってもね、
文章として書いてゆく一文字ずつが、
童話「ヘンゼルとグレーテル」で登場する
森のなかで置いてゆく「パンくず」のようだなあ、
ってえのもブログ書いたですが。
迷い込んだ世界で置いてゆく「パンくず」が、
ずっと連なってゆくように、
毎回のブログが、はたまた、日々のブログが、
書かれている、とすれば、
今、ブログで書く、この、一文字、一文字が、
過去と未来とをつなぐ分岐点のようにも思えてくる。
つまりは、この一文字によって、
未来の方向性がすこし変化するんやもしれない。というか。
文章やことばって、書きようによっては、
他人を傷つけることもあるのだろうし。
ひいては、じぶん自身も傷つけることも、
あるんだと思うけれども。たとえば、
だれかを、そして、じぶんを、
陥れることばだけではなくって、
なんと言うか、よいことば、って言うのかなあ、
たとえば、このような感じで、頑張りたい!
と言ったときにはさ、その
言ったみたいに頑張れたらよいけれど、
ちょっと、そうじゃあなかったときに、
じぶんの言ったようにできなかったとしたら、
できなかったじぶんを、否定してしまうことにも
つながってしまう。というか。もっと言えば、
じぶん自身が、じぶんの言ったことばに、
縛られてしまうこともあるんじゃあないかな。
って思いながら、そんなふうにね、たとえば、
じぶんでじぶんを陥れたり、
じぶんでじぶんを縛ったり、
じぶんでじぶんを呪ったり、
ではないような、ことばを、文章を、ブログを、
書きたい、とは思っているんだけどねー。
それは、なんてゆうか、
「言祝ぐ」かのような?!
この、一文字、を書くことによって、
わるい方向ではなくて、
よい方向へと、ほんの一歩だけでも
近づけてゆけてたらよいなあ、
とねがいたい〜。
とは言ってもねえ、まあ、おんなじところをね、
ぐるぐるしながら、でもそれは、じつは、
螺旋階段のようになっていて、
上へと昇ってゆくような、
そんなイメージで。
令和3年8月29日