表紙17

其の四十五 『三四郎』

《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(平成20年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

こんにちはーっ!!!

前回noteでは、「理屈にならない理屈で諫言しちゃうそういう事態っていうのは、鴎外ほど調和の取れた人でも時と場合によってはありうる、起こりうるんだ。っていう、(森鴎外の小説作品『半日』とは、)そういういい例だと思います。」と吉本さんおっしゃるばめんでした。

では、つづきをきくです。。。

それから、まあ、漱石の場合には。僕が考えに入れたのは、要するに漱石の場合には『三四郎』っていう青春小説がありますけど。青春小説のことなんです。(チャプター09 / 夏目漱石と『三四郎』_0:00〜)

そして。夏目漱石のばあいには、『三四郎』という青春小説を。。

‥‥と。こちらもぼくは恥ずかしながら読んだことありませんくて。でも、『こころ』はよんだことあるです。えーと、ほかのはどーだったかなー???

講演をつづけます。

で、あの。三四郎っていう青年学生たちの、まあ、中心になるようなモデルになる人がいた、って言われてますけど。そういう大学か大学予備校かそういうところの先生がいるわけです。その先生を慕ってる学生さんが、

大学か予備校のある先生をしたっている学生たちが、

その周りに集まってひとつの、まあ、あの、集まりを形成しているわけですけど。あるとき、三四郎が先生のところへ訪ねて行くと、訪ねて行くと、

先生のところで集まっていて。あるとき、三四郎が先生のもとへゆくと、

いつもの常連であるその生徒さんが来てないんです。それで、

いつも来ていた学生がその日はいなくって。

たまたまひとりだけになって、先生とふたりになるわけですけど。

たまたま三四郎と先生がふたりになる。。。

‥‥とゆう、このつづきは次回noteで聞いてゆきます。なんだか、このごろむしょうにむしあつい。

平成28年9月28日



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