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ことばのゲームフィールド。

ことばを、
書きながら、話しながら、
読みながら、聞きながら、
コミュニケーションをとったり、考えたり、
をしながら、なんだか、やっぱり、
ことばって不思議だなあと思う。

ことばによって、
伝わったり、わかったり、ときには
伝わらなかったり、わからなかったり、
ってゆうなかで、もう、
ことばが無い世界、ってゆうのは、
想像もつかないな。

ことばは、
いつごろできたのか?
なんてえのはぜんぜん知らないけど。
かくじつに言えるのは、ことばは、
ぼくが生まれる前からあった。そして、
ぼくの親が、さらには、ぼくの祖父母が、
生まれる前からあった、のだろう。

このことでね、
ぼくの好きな比喩というのがさ、
内田樹さんが書いておられた
「ゲーム」と「プレイヤー」のことなのでして。
(内田樹さん著『下流志向』講談社文庫、76頁より。)

たとえば、生まれた瞬間から、
ことばの行為がすでに行われている
ゲームのフィールドに投げ込まれて。
最初は、そのゲームが、
どういうルールで成り立っているか、
まったくわからないまま、見たり、聞いたり、
ボールを受け取ったり、パスしたり、という、
見よう見まねでプレイに参加しているうちに、
だんだんルールもわかってきて、
そして、ゲームが進んでゆく。

人は、誰しも、
そういうようなプロセスを経て、
ことばを学んでゆく。というのを読んで、
なるほどぉ、と思ったのよね。

ゲーム、つまり、
ことばの起源はわからないにしても、
そのゲームが、起源の時代から
プレイが途絶えなかったから、
脈々と受け継がれるようにして
プレイが続けられてきたからこそ、
今でもことばはあって、
世界でことばが使われていて、
ぼくもことばを使っている。

そう思えば、
すごい、というか、
ありがたい、というか、
邪険にできない、というか、
なんだかうまく言えないけど、
ことばを、簡単に使っている、とは、
思えない。というか。

大学を卒業したころだったかなあ、
ぼくはもう、日本語をマスターしたんだ。
くらいに思ってしまったときもあったけれども。
いや、それは思いちがいで、
考えれば考えるほどに、
ことばは、広くて、大きくて、というような、
まったくそんなことはなかった。
って、今では思っているのよね。

令和3年10月27日


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