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生まれ来る子供たちのために。

じぶんが生まれる前から、
この世界は存在していた。

ってゆうのはさ、
当たり前と言えば当たり前なんだけれども、
考えてみれば、不思議、というか、
にわかにはちょっと信じられない、
みたいなふうにも思えてくる。

たとえば、ぼくは、
1982年生まれの現在40歳なのですが、
子供のころ、それは、でも、
じぶんが何歳ごろだったかは憶えてないけれど、
戦争のことや、原爆のことを、
初めて聞かされたときには、
ぼくが生まれる前にそんなことが起きていたんだ、
と、思ったように思う。また、
ザ・ビートルズやレッド・ツェッペリンの音楽を、
初めて聴いたときにはさ、
ぼくが生まれる前にこんな音楽があったなんて、
すごい! とかも、思ったように思う。

じぶんが生まれる前から、
この世界は存在していた。
ということは、
文化とか、お金とか、法律とか、言語とか、
学問とか、政治とか、国家とか、インフラとか、
あらゆるものはもうすでに作られていて。
じぶん自身が生まれてから
新しく作られたものはたくさんあるにしても、
世界の基本的なシステムは、
生まれたときからすでにあった。

それは、
ぼく自身はもちろんのこと、
ぼくの両親、祖父母、そのまた祖父母、
そのまた祖父母の祖父母たち、そして、
先生や師匠や最長老様においても、
同様であって。つまりはさ、
「世界の起源を誰も知らない」
ってゆうことでもあると思うの。

起源を知らず、そして、
いつ、だれが、どこで、どうして、
どのように作られたか、
というのもわからない、
このシステムの中に生まれてきて、
人間はどうやって生きてゆけるのか。
たとえば、システムとは、
ときによくないものだとしても、
ときには、かつての人たちが
これから生まれてくる人たちのために残してくれた、
恩恵のようなものであるやもしれないか。

そんなことを思いながら、
世界を想いながら、
世界を憎みながら、
世界を祈りながら、
世界を呪いながら、
世界を慈しみながら、
生きてゆくほかないのだろうかなあ。

生まれ来る子供たちのために、
何を語ることができるものか。

ひろい空よ 僕らは 今どこにいる?

令和4年9月12日

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