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忘れ物を思い出すこと。

出かけるとき、ふと、玄関先で
「あ、そうだ。あれを持ってゆかなくちゃ!」って、
忘れ物を思い出すことがある。
もしくは、出かけるときの玄関先で、
忘れ物を思い出さないこともある。

そういうような忘れ物のことをね、
「思い出すとき」と、
「思い出さないとき」では、
どういうちがいがあるんだろう?

ぼくとかは、事前に
どんなにチェックしていたとしても、
忘れ物をしてしまうことはあって。
それを、ふと、出かける直前で
思い出すときってえのは、
めちゃくちゃありがたいし、
そういうときにはさ、もう、なんとゆうか、
人間の意識を超えたかのような、
なんだか、霊性的なものすら感じられる。

つまり、なんだろうか、たとえば、
亡くなったぼくのおじいちゃんが
ぼくのことを天から見守ってくれていて、
亡くなったおじいちゃんが、ぼくに
「ひでし、あれを忘れているぞ!」
と叫んでくれて、そのおじいちゃんの声を
ぼくもキャッチする。だから、
忘れ物を思い出すことができる。
逆に、そのおじいちゃんの声を、
ぼくが聴き取ることができなかったときは、
忘れ物を思い出すことができない。

なんだか、そんなようなことも考えつつ、
さらに突飛的に言ってしまえば、
「アイディアを考える」というのもね、
このことと似ているような気がしているの。

たとえば、
「アイディアが降ってくる」とか、
「アイディアが閃く」みたいなことを
言われたりするとも思うけれども。
そんなような、つまり、
「よい考え」が思いつくときって、
考えに考えた結果考えつくよりも、
考えに考えたけど思いつかなくて、
でも、あるときにふと思いつく、みたいな、
そういうときってあると思うんですが。

それはさ、たとえば、
外を歩いているときとか、
お風呂に入っているときとか、
トイレに入っているときとか、あとは、
ぎりぎりに追い込まれているようなときとか、
そういうようなときに、
ある考えを思いつくことがあって。
それって、でも、
じぶん自身で考えた、というよりも、
誰かがぼくに投げかけてくれた、
って言ったほうが近いやもしれないんだなあ。

よい考えを、
思いつくか、思いつかないか、とは、
どういうことなのか?! ってえのは、
ぼくにはよくわかっていないけれども。
でも、なんだか、たとえば、
じぶんで考えることよりも、
誰かが投げかけてくれたものを、
キャッチする、というのも、
大事なんじゃあないか、って、
ちょっと思っているのよねー。

ともすれば、それを、
「キャッチする」という技術(?)も、
大切なんじゃあないかねえ??????
と、そんなことを考えてみたの。

令和4年9月17日


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