質か、量か、もう一つか。
「質よりも、量。」であるとか、その逆に
「量よりも、質。」であるとか、という議論は、
ネットでもよく見かけたりするけれども、
「質」なのか、「量」なのか、って、
ぼくにはよくわからないな。
たとえば、前者の
「質よりも、量。」と言うならば、
質のわるいものをたくさんつくる、
という意味としても受け取れそうだし、
そしてまた、後者の
「量よりも、質。」と言うならば、
質は申し分ないけど、それは
一度きり、一回のみ、一つだけ、
というふうにもなってしまうやもしらない。
ぼくのような素人なりに考えるとすれば、
良質なものを何度でも、つまり
「質も、量も。」という状態が、
理想のようにも思えるのですが、
どうなのでしょう?
このことで思うことはね、たとえば、
ぼくのこの「ブログ」の場合で言うとすれば、
一応、日々、更新として行なっているので
「量」としては、つまり、「回数」としては
胸を張って誇れるほどでは無いにしろ、
一度きり、という状況でも無い。
けれども、いかんせん
「質」が悪すぎる、とも思うの。
かと言いつつ、その
「量」をこなすことによって、つまり
「回数」を重ねることで、だんだん、その
「質」が高くなっている、とも思えない、
というところに問題があると感じているですが。
ならば、どうすれば、
「質」が高くなるか?
を、考えるべきなのか?!
ぼくには、わからない!!!
そもそも、
「質」とは何か? ってえのもね、
これまたぼくはよくわからないですが、
つまりはさ、いわば
「クオリティー(品質)」なのかねえー。
というように考えてみても、
「クオリティー」とは何か? ってえのも、
よくわからないんですが、たとえるとすれば、
「上質である」とか、「上手である」とか、
「技術がある」とか、「価値がある」とか、
「面白い」とか、「美しい」とか、「かっこいい」とか、
「ためになる」とか、「感動する」とか、「凄い」とか、
のような感じなのでしょうか。
でも、それらはさ、どうやって
「はかる」ものなのか? つまり、
「質を上げる」及び、
「質が上がる」ということは、
何を意味するの??? はたまた、
もしも、そうやって
どんどんどんどんどんどどどどどんどんどどどん、
かぎりなく、高く高く高くなってゆくともすれば、
雲の上の存在へと成ってゆくのかなあ。
その反面、
「量」のほうはね、数字という
「データ」として表されるものなのだから、
わかりやすい、と言えるやもしらない。
でも、ならば、その数字を、
億,兆,京,垓,𥝱,穣,溝,澗,正,載,極,
恒河沙,阿僧祇,那由他,不可思議,無量大数,
までの位の値までやり続けてゆけたら、
どうしょうもないぼくのこと、認めるのかい?
って考えるともすれば、結局のところ、
「質」も、「量」も、
どちらもよくわからない、と申しますか。
むしろ、そのどちらとも
本質では無いような気もしてきたですが、
本当のところはどうなんだろう。。。
とは言えども、やっぱり、
「質」も、「量」も、
両方とも大事なのだとしても、でも、
「質」と、「量」と、そして、もう一つ、
何かしらの指標があるような気もするなあ。
それってば、何だろう? と考えてみても
ぼくはぜんぜんわからないけれども。。
今、さっき、ぱっと思いついたのはね、たとえば、
「愛」かなあ????? いや、あのぉ、
なんとゆうか、それを言い換えるとするならば
「心」と申しますか、つまりは
「真心」と申しますか、もしくは、
「丹精」と申しますか、それとも
「精魂」と申しますか、いわゆる
「魂」と申しますか、さらには、
「想い」や「気持ち」と申しますか、
「どきどきわくわく」と申しますか、
「アイディア」と申しあげますか、
なんだかそのような感じのものかなあー。
でも、それらだっても、
数値では表せがたいものだから!
「良いもの」とは、
どういうものなのでしょう?
令和5年7月29日