表紙14

其の六 アダムスミスからマルクスまで。

《2008年7月19日・昭和女子大学人見記念講堂にて開催されました吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聴いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

はいよー、こんにちはっ。

前回noteでは、吉本隆明さんが敗戦後5、6年間懸命になってやっておられた勉強について聞きました。

それは、吉本さんが戦中より持っていたとおっしゃる「文学的素養」と、戦後になって考えたとおっしゃる「世界を知るにはどうすればいいのか?」の問題を結び合わせる。でございました。

こんかい、そのつづきを聞きます。。。

で、世界を知る方法として僕が選んだのは、えー、あの。まあ、誰もがたぶん同じように選んだんじゃないか。同じ選びかたをしたんじゃないか、と思いますけど。僕なんかが選んだのは、(チャプター04 / 古典経済学から芸術言語論へ_0:00〜)

世界を知る方法として、吉本さんが選ばれたのは、

要するに、今で言えば「古典経済学」と言いましょうか。

古典経済学…。なんだか、むつかしそうで。。

アダム・スミスからマルクスまで、っていう、古典経済学というのが、世界を、あの。なんか、認識したり、つかんだりするのにいちばん近いんじゃないか? って言う考えかたを持つように。持てるようになって。

「マルクス」という名前はさ、『芸術言語論』を聞くまえにこのnoteで聞きました『喩としての聖書−マルコ伝』のなかに登場していたよ。また、「アダム・スミス」ってのは歴史の教科書に出てたとおもうけど。どちらも、くわしいことはぼくはぜんぜん知らない。(以下は、Wikipediaの「アダム・スミス」及び「マルクス」へのリンクです。)

だけれども、だからこそ、聞きます!!

そしてそれを、まあ、えー、大真面目に。アダムスミスからマルクスまで、っていう形で。あの、ひとつひとつ検証しながら読んでいった。読んでいって、考えていった。というふうに思います。

「アダムスミスから「マルクス」まで。という今で言う「古典経済学」をひとつひとつ検証しながら読み、考えた。とおっしゃるこんかいはここまで〜。このつづきは次回noteですっ。

もうなんかじぶんが無知すぎてしょーがない。んでもさ、ゆっくり聞いてゆくよ!

平成28年8月20日



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