名前にまつわるエトセトラ。
名前って、
なんだろうなあ、と思う。
世界では、あらゆる物事に
名前がついている。たとえば、
土地にも、動物にも、植物にも、物体にも、
雨や雲や雪の天気にも、星にも、宇宙にも、
形が無いような物事にも、
たぶん、けっこう、名前はついている。
もちろん、ぼくにも、
名前はついている。
人は、子どもが生まれると、
親が、もしくは、保護者が、
その子に名前をつける。
子は、名づけられたその名前で、
人生を生きてゆくわけだけれども。
「名前」って、その人の人格や性質に対して、
どれだけなのか影響されているのかなあー。
もしも、ぼくが
この名前で無かったとしたら、
ぼくは、ぼくであったとしても、
まったくおんなじ人間になっているのか、
それとも、度合い的には、
ちょっとなのか、けっこうなのか、は、わからんけど、
いくらか変化しているんだろうか?????
ぼくは、
鈴木秀之、という名前なのですが、
秀之、と書いて、
ひでし、と読む。
これまで、自己紹介的な場面で、
「秀之と書いて、ひでしと読みます。」そして、
「いちおう、漢和辞典では
『し』という読み方も載っています。」
みたいなことを、何度言ってきたかわからないし。
名前がとくに重要ではないような場面では
「ひでゆきさんですか?」
と訊かれても、わざわざ訂正はせずに
「はい、そうです。」
って答えることも無数にあるし。
それらは、これからも、無数にあるんだろう。
もう、そういう、
人生なんだろう、って思いながら、
それだけ言ってきたりしたとすれば、
性格みたいなことに影響されているとも思えるし。
おそらくはさ、だれしもが、自分自身の
名前にまつわるエトセトラがあるのでしょう。
と思うの。
名前についてさらに考えてみると、
「あだ名」や「ニックネーム」というのもあるし、
インターネットやSNSでは
「ハンドルネーム」や「アカウント名」があるし。
はたまた、
芸能人やタレントさんの「芸名」、
小説家さんや漫画家さんの「ペンネーム」、
落語家さんの「高座名」や「亭号」、
歌舞伎役者さんの「役者名」や「屋号」、
お相撲の力士の「四股名」、
風俗や水商売の方々の「源氏名」、などなど。
また、歴史的には、
生まれてからの「幼名」があり、
元服すると「諱(いみな)」が与えられ、
それから、さらに、名前が変わることもある。
というような、場面場面によって
ちがう名前になることもあるかとぞんじますが。
その場面では、
その名前になる。というのは、
大事なことなのだろうなあ。と思われる。
名前って、
人は、いつから、人に、
つけるようになったのかなー。
令和3年7月31日