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人の振り見て我が振り直すしかないか。

「人の振り見て我が振り直せ」ということわざは、
私の好きなことばです、ではないのですが、
でもけっこう、じぶんの中で重要というか、
ある意味では真理なんじゃあないか、
と思っているの。

たとえば、人のある振りを見て、
よくない、とか、つらい、とか、を、
じぶんが思ってしまったときには、
でも、その人に対して、
「あなたの振りはよくない。」とか、
「あなたの振りがつらい。」と言うのは、
ちょっと角も立つだろうし、なかなか、
面と向かっては言えないな。

ともすれば、「我が振り」を直すためには、
他人からは言ってもらえず、
ならば、じぶん自身だけで
直そうとするしかない、というか。
つまり、
「人の振り見て我が振り直す」しか、
ないんじゃあないか? とも思えてくる。

けれども、もしも、
この方法しかなかったとすれば、その
相手の振りがどうにもいやだったとしても、
我慢する、とか、あきらめる、とか、しか、
できないのやもしれないか。

この逆の考え方として、
「我が振り」が、相手に対して
いやな思いをさせていたとしても、
相手から言われることもないのならば、
「我が振り」を、どうすれば
直すことができるのか?????

それはでも、たぶん、相手の
ことばにされない「いやな思い」を、
察知しようとする、とか、
もしくはさ、ことわざの
「人の振り見て我が振り直せ」を実践されるかの如く、
ぼくの振りを見られたことによって、
人の振りが直された、という、つまり、
「我が振り見られて人の振り直された」ときの、
その人の振りの「変化」を観察する、しか、
方法がないんじゃあないか?! とも思われる。

なんだか、でも、こう考えてみるとね、
ことばによるコミュニケーションって、
角が立つこともあるだろうし、
きちんと通じない場合もあるだろうし、
うまく言えないときもあるだろうし、
だから、完璧じゃあない、というか。
コミュニケーションにおいて、
ことばではないコミュニケーションが、
じつはけっこうな割合を占めているやもしれないな。

つまりはさ、ことばで伝えずとも、
みんなが、頭や心の中で、
思ったり考えたりしているんだろう。

でも、なんとゆうか、
「人の振り見て我が振り直す」しか、
方法がない、ってえのも、
つらい、というか、さみしい、というか。

どうしたら、角も立たず、
どんなことでも、
言ったり、言われたり、できるんだろうか。

令和4年7月4日


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