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勉強と平和。

どうして、学校の勉強をするの?
ってゆうのはね、おそらく、その人によって
理由や動機がちがってくるだろうから、
一概にも言えないと思うし、つまりはさ、
はっきり、これだ! というのも
ぼくとしてはじつはよくわからないですが。

学校の勉強について考えるときにぼくが思うことは、
学校の勉強というのも、
当たり前にあるものでは無い、と申しますか。
たとえば、災害や戦争等があれば
学校の勉強もできがたくなると思われるし。
また、現在の日本においては、
「教育を受ける権利」及び「義務教育」が
憲法の中で定められているから、
学校の勉強をすることができる、
とも言えるんだろう。

学校の制度とは、
どのようにしてできたのか?
についてはさ、たとえば、
学校制度ができる前における子どもたちは、
家庭において、今で言うタダ働きのごとく
過酷に働かされていて、そういうような
家庭による過酷な労働から子どもたちを守るため、
学校が作られた、というのを聞いたことあるけれども。
そう考えるともすれば、
「学校がある」ということも
当たり前のことではないなあ、と思うのよね。

だからと言って、つまり、
学校があることが
当たり前じゃあないからと言って、それが
「どうして、学校の勉強をするの?」
という問いの答えには成らないとも思えるし、
もしくはさ、だから、
「学校の勉強をしなさい!」
とも言えないし、はたまた、
「学校の勉強をする」ための
理由や動機にも成れないとも思うんだけれども。

でも、なんだか、
学校の勉強が行われる、ということは
つまり、言うなれば、その社会は
平和だ、とは、言えるような気がするの。

そういうふうに考えるとねえ、
学校の勉強とは、
それ以上でも、それ以下でも、
無いようにも思えるし、そしてまた、
学校の勉強が、
将来、どう役に立つのか?
って訊かれたとしても、ぼくは、
よくわからない、としか言えないんだなあ。

令和5年4月17日


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