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「時間」や「暦」を、作ることはできるか?!

このごろのブログでは、
「時間」や「暦」のことについて、
ちょっと考えたことを書いているけれども。

そもそも、たとえば、
「時間」や「暦」が存在する以前の時代に、
ぼくが生まれたとして、そのぼくは、
「時間」や「暦」を、
作ることはできるか?!
というのをね、なんだか妄想しているの。

「時間」や「暦」が存在する以前の時代、
ってゆう時代がさ、ほんとうに
あったかどうかは知らないけれども。
でも、そう仮定して、たとえば、
「暦」が無い、ということはさ、
「1年間」という単位もないわけだから。
季節が巡り、そしてまた、
同じ季節が始まり巡る、
という感覚もない、のだと推察する。
つまりはさ、気候には、
サイクルがある、ってゆうことに、
どのくらいの期間で気づくことができるのか。
はたまた、「1日」というのにも、
サイクルがある、ってゆうことに、
気づくことができるのか。

それは、でも、たとえば、
「季節」のことで言えば、
暑くなる・寒くなる、とか、
「1日」のことで言えば、
明るくなる・暗くなる、とか、
そういうのは、
肌で感じられたり、
目に見えたりするんだから、
わかるとしても、
もっとダイナミックにね、
「1年」や「1日」という時間を、
考えることはできるのかなあ。

「1日」のことで言えば、
季節によって、日の長さが
伸び縮みもするんだから、
ややこしそうだ。

そもそも、そのときにね、
「時間の長さ」というものを、
どうやって計測するんだろう?

そうやって考えてみれば、
「1日」は24時間、
「1年」は365日、
そして、
4年に1度「うるう年」がある。
また、日本の季節で言えば、
春夏秋冬という「四季」がある、
ということに、ぼく自身としては、
気づくのはむつかしいんだろうなあ。
とも思われる。

「四季」のことで言ってみても、
それを1度体験しただけでは、
サイクルはわからないわけだし、
何度も、何度も、体験することによって、
これはある周期で繰り返されている!
と、確信できることなのだろうから。

時間とか、暦とか、って、
当たり前のものではあるけれども、
ある意味では、
当たり前ではないのかもしれないし。
つまりはさ、これまでの
人類の叡智の積み重ねによって、
時間とか、暦とか、が、
存在しているやもしれない。

そんなことを、
ふと、思ったんだった。

令和4年10月14日


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