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嘘と正確とあいまいと冗長。

昨日のブログでは、ぼくが兄弟について訊ねられたとき、
あるころまでは「一人っ子」と答えていたのが、
あるときからじぶんには「兄」がいること、そして、
兄は母親がおなじで父親がちがう、という、つまり
「異父兄弟」である、と答えるようになった、
ってえのをしるしたのですが。

そういうふうに答えるのが変化したのは、
昨日でも少し書いたけれど、兄とは
たまに会ったり連絡も取り合ったりはするものの、
これまで一緒に暮らしたことはないので、
とくに、ぼくが子供のころには
「兄弟」という感覚は持っていたんだとしても、
リアルではそう感じてなかったかもしれないこと、
でも、大人の年齢になってからは、ぼくにはやはり
兄がいるわけだし、一人っ子だと答えるのは
兄に申し訳ない、と、思うようになった、
というようなことが理由として挙げられるのですが。
もうちょっとより正確にこの理由を言おうとするならば、
この言い方だと「嘘」になる、
と考えられるからやもしらない。

ぼくには異父兄弟がいるとして、でも、
子供のころはリアルでそう思ってなかったとしても、
じぶん自身が「一人っ子」だと言うのは、べつに
相手を騙そうとしているわけでもないから、
「嘘」をついている、というのでもないと思うけれども。
でも、やっぱり、
じぶん自身に「嘘」をつきたくない、って、
ぼくの中で考えたのかもしれないな。

さらに言えば、なるべく
より正確に言いたい、とも考えた、というか。
つまりはさ、たとえば
「兄弟はいるの?」と訊かれたときにね、ぼくはただ
「兄がいます。」とだけ答えればよいんだとしても、
そのことばにつづけて「でも、
母が離婚していて父親がちがう兄です。」
というところまでは、実際は言わなくてもよい。
でも、ぼくとしては、そこまで言わないと
「嘘になる」と思っている、というか。つまり、
「兄がいる」だけでは、それでは
正確だとは思えない、と、ぼくは感じていて。
しかも、それでは
「嘘になる」とも思っているのだろう。

「嘘」について考えることはね、ぼくは現在、
こうしてブログを書いているけれども、
ブログの中でも、そして
実生活の中でも、なるべく
嘘はつかないようであれたら、
というのは思っている。
でも、そうとは言えども、
嘘をつくことはあるとも思うけれども、でも、
じぶん自身の気持ちみたいなものについては、
なるべく正確に把握してたい、というか、
なるべく正確に記述できるようであれたい。

把握できないこと、
記述できないこと、
見えないこと、及び、わからないこと、
などなどについては、その部分は
言わない、というか、
書かない、というか、
保留にしておく、というか。

嘘をつくぐらいならば、この上で書いたような
「より正確に」というふうでは無かったとしても、
いわば、どっちとも取れるような
あいまいな書き方をしたほうが、よい、
と思うときもある。

「あいまい」は、まだ「嘘」じゃあない。

「嘘」って、場面によっては
相手を迷い惑わせてしまったり、かつ、
じぶん自身をも迷い惑わせることもある。

ならば、なるべくならば
嘘はつかず、そして、ときには
あいまいな言い方をしながらも、
より正確に言おうとするときには、
それによって、より冗長になってしまうとしても
それでも構わない、と思えたい。

令和5年8月22日


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