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其の四十二 鴎外の仲裁
《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(2008年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》
こんにちはっ!!!
このシリーズ、いつに終わるのかマジでわからないけれど、ほんじつもやります。吉本隆明さんの講演を聞いて、それを文字にしてみて、そのあとなんとなくぼくがあいづちみたいなのを打ちます。
前回noteでは、「この奥さんは、夫婦として自分がやるべき役割っていうのまで母親が侵入してくるのが不平で。しかし母親のほうは、依然として息子である鴎外の世話をやいて。もうおたがいに、口をきくのも顔を見るのもイヤだ。っていうふうになったとき、鴎外はどのように考えたか? と言うと、」と吉本さんおっしゃるばめんでした。
では、つづきを。。。
で、それによれば。鴎外はその中間に立って和解をさせようとして中間に立った鴎外は、どういうふうに言ったかというと。どういう言いかたをしたか、って言うと、(チャプター08 / 森鴎外と「半日」_3:50〜)
中間に立ち、奥さんと母親を和解させようとした鴎外は、、
奥さん、奥方に対しては、おまえとの関わりは数年間のあいだの関わりにしか過ぎない、と。しかし、自分と母親との関わりは赤ん坊のときからの関わりだ。
「おまえ(奥さん)との関わりは数年間の関わりにしかすぎない。しかし、母親との関わりは、あかんぼうのときからだ!」
だから、その延長線で。あの、なんか。今になってもまだ自分の世話をやきたがって。要するに、奥さんの領域まで時として無視するような。そういうようになっちゃうということは、しかたがないじゃないか。
「だから、その延長で。ときに、おまえの領域を無視するようになるのは、しかたがないじゃないか!!」
つまり、えー、あの。で、奥さんのほうは、それに対してもう、もう、顔を見るのもイヤだし。もういっしょに食事をするのもイヤだ、っていうような問題になってくるわけです。
それに対して奥さんは、もうイヤだ、と。
で、その中間に立った鴎外は、要するに、何、どういうことに諫言(かんげん)したかって言うと。
そして、鴎外は、どのようにいさめたのか?!
結局、こどものときに。あの、こどものときから世話を焼いてるから、世話を今でも焼くというのは、ある意味で当然じゃないか。って。おまえはよそで育って、それで高尚な自分と結婚して、いっしょに生活するようになった。そういう意味で言えば、まだ4、5年の年数しか経ってない。
「母親はこどものころから世話をやいてるから、いまでも世話をやくのは、当然じゃないか。よそで育ったおまえは、高尚な自分と結婚して自分と生活をするようになった。それを考えれば、まだ4、5年しかたっていない。」
母親が得てして、おまえの領域を侵犯するように見えるのは、しかたがないじゃないか。と、こういうふうな仲裁のしかたをするわけです。
「だから、しかたがないじゃないか!!!」
‥‥こ、こ、これは、ある意味で、すさまじい。このあと、どーなるんだろう??? この講演のつづきは次回noteで聞きます。
平成28年9月25日
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