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「いつ」のこと。

ぼくの家の前にある道は、
いつ、できたのだろうか。

この道を歩いた先の、
ぼくの家のすぐ近くには、
ぼくの母校でもある小学校があって、
母校とは言っても、ぼくが
小学6年生のときに引っ越してきてから通った、
1年間だけの母校ではあるけれども、
この小学校は、
いつ、できたのだろうか。

母校の小学校の近くには、
セブンイレブンがあって、
このコンビニは、
いつ、できたんだっけー。

近所にある公園の片隅には、
お地蔵さんが建立されていて、
このお地蔵さんは、
いつ、立てられたのかなあ。

そこからすこし歩けば、
国道が通っていて、
この国道は、
いつ、作られたんだろう。

国道の北側には、
国道と並走するかのように、
旧道が通っていて、
この旧道は、
いつ、作られたんだろう。

旧道を西側へと進んだ先にある川には、
橋が架かっていて、この橋の名称がさ、
山田風太郎さんの「くノ一忍法帖」だったかなあ、
どの作品なのかはうろ覚えですが、
小説の中に登場しているのを見かけたときは、
おぉー! って思ったのだけれども。
その橋とは、つまり、
その橋の原型の橋とは、
いつ、建設されたんだろう。

この橋が架かる川は、
いつ、できたんだろう。

さらに、その川の、
本流となっている川は、
いつ、できたんだろう。

その川の先にある湾は、
いつ、できたんだろう。

海と、陸と、川と、山と、坂と、岩と、
家と、村と、町と、市と、県と、国とは、
いつ、できたのでしょうか。

いつ、というときが、
わかるものもあれば、
わからないものもあるとして、
わからないとしても、
いつ、というような、
その瞬間や日にちや時期があったはずで、
そのときのことが、
いま、ぼくの生活にも影響を与えている。

いま、ぼくの生活にも影響を与えていることは、
大きな地学的なこと、
大きな歴史のこと、
大きな政治のこと、
だけに限らず、たとえば、
もっと、もっと、もっと、小さいような、
いつぞやのだれかの個人的な行動によっても、
よくも、わるくも、
この生活が全く変わってしまったことも、
あるやもしれない。

ともすれば、
いま、ぼくのこの行動だっても、
未来においては、
よくも、わるくも、、、

ってゆうようことを考えると、
こわくもあるし、
ある意味では、
希望でもあるやもしれないか。

そんなことを想いながら、
この秋の日を過ごそうか〜。

令和4年9月23日


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