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過去形の「考える」、現在進行形の「悩む」。

考えても、考えても、考えても
わからないとき、ってゆうのは、
それは、考えることをしていなくて、
ただ、単に、
悩んでるだけなのかもしらない。

ともすれば、
「悩む」から「考える」へと、みたいにして、
じぶんの考える方法を変えてゆけたら、
これまでどんなにわからなかったことでも、
たちまち、わかるようになるんだろうか。

でも、そんなような、
「たちまち」とは言ってもさ、
どれだけの時間や労力がかかるものなの?
たとえば、それが
「一瞬で」だったとすれば
もう考え始めた途端で、
考えるまでもなく、わかる、みたいな、
そうだとすれば「考える」というのは、
それほど、すごいものなんだろうかねえ。

べつに、それは
「一瞬」じゃあなかったとしても、
悩んでも、悩んでも、悩んでも
まったくわからなかったことでも、
「考える」をしたならば、いつかは
「わかる」ときがやってくるとして。
でも、その、考えているあいだでは
「まだわからない」とすれば、
このあいだの時間って、
「考える」でも「悩む」でも、どちらも、
じつは似たようなものやもしれないか。

けっきょくはさ、結果的に、最終的に、
「わかる」がやってきたら「考える」、
「わかる」がやってこなかったら「悩む」、
なのかもしれん。

つまりはさ、
「考える」は過去形的、
「悩む」は現在進行形的、
の語句なのかもなあと思ったのよねー。

たとえば、いま、なにか
わからないことがあったとして、だれかに、
「おれ、いま、考えているんだけどね。」
って言うよりも、
「おれ、いま、悩んでいるんだけどね。」
と言ったほうが、どことなく
自然(?)なような気がする。というか。
ぎゃくに、「考える」と言うならば、
わかったあとになってから、
「おれ、このこと考えたんだけど〜。」
って、過去形として言ったほうが
信頼感がありそう。というか。

わかったあとで
「考えた」と言いながら、
考えているあいだには
「悩んでいる」と言うくらいのほうが、
ちょうどよいのかもしれないなあ。

なんてことを、考えた。

悩んで、学んで。。。

ぼくもそうなれるの
それはギモンだ 大ギモンだぁー

令和3年8月24日


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